カテゴリ

詐欺被害事案対応事務所〔PR〕

 

詐欺被害事案対応事務所〔PR〕

 

KSG RESOURCE株式会社

最終更新日:
事業名KSG RESOURCE株式会社
代表者加賀祐介

KSG RESOURCE株式会社の口コミ (198)

  • 2017/01/08 08:44:38返信

    3:樺太を鉄道で本土と一体化することで、カムチャッカやマガダンなどへの海運の拠点を沿海州から樺太に移し、海運の費用を削減する。あり得るが、費用に見合うだけのメリットがあるかどうか疑問。樺太東岸は長期間結氷するのも欠点。4:樺太を鉄道で本土と一体化することで、中国軍が中露国境を越えて侵入してきた際の極東地区の住民の避難先として確保する。樺太南部のユジノサハリンスクをロシア東部地域の首都、あるいは臨時首都候補として整備する。これは最も説得力がある。ナポレオン戦争や第二次世界大戦で、ロシア軍は西方からの敵の侵入に対してどんどん東へ撤退する戦術を採った。日中戦争でも中国国民党政府は南京から奥地の重慶へと撤退した。しかし、現在のロシア極東は中露国境沿いに人口も交通網も集中しており、奥地へ撤退するための交通機関も、奥地の拠点もない。中国の脅威を考慮して、中露国境から離れた地域に拠点を置き本土と鉄道で直結するのは合理的である。最悪の場合は極東のロシア人は樺太の橋頭堡に脱出して日本の支援の元に本土奪還の機会を待つこともできる。世界主要国が核ミサイルで武装している時代に、通常兵器のみの使用を前提としたこのような昔ながらの戦術が果たしてどこまで有効なのかは私には分からない。ただ、シベリア鉄道やハバロフスク・ウラジオストク・ブラゴベシシェンスクの三都市が余りに中露国境に近いこと、冬季には河川国境は凍結して地続きになることを考えると、現在のロシア極東は通常兵器レベルでも中国軍の脅威に対して脆弱であると言える。そして、現状では中露関係は比較的良好だが、将来ダマンスキー島事件の様な軍事対立が起きないという保証は何もない。それに対しては、ハバロフスク・ウラジオストク・ブラゴベチェンスクの三都市は最前線の軍事要塞的地域とし、現在のウラジオストクの都市機能をナホトカと樺太南部に、ハバロフスクやブラゴベシシェンスクの都市機能をコムソモリスク・ナ・アムーレに移すような政策が考えられる。そして、バム鉄道が複線電化されてシベリア鉄道のメインルートとなり、現在のシベリア鉄道は北朝鮮への鉄道輸送を行うローカル線に転落することになる。ハバロフスク・ウラジオストク・ブラゴベシシェンスクの三都市は中国が全く脅威でなかった時代に国境沿いに建設された。国境沿いの方が、満州を植民地支配するのに好都合でもあったのだろう。しかしながら、中国の経済的躍進、あるいは人口の激増は今やロシア極東に対する大きな脅威となっている。この現状で、ハバロフスクやウラジオストクに更に中枢機能を集中させるのか、それとも国境から遠いコムソモリスク・ナ・アムーレ、ナホトカ、樺太南部などに中枢機能を移すのか?その答えは恐らく数年以内に分かるはずである。【3月23日追記】ロシアの海底トンネルのイラストを見ると、バム鉄道から間宮海峡トンネル、樺太、宗谷海峡トンネル、北海道、青函トンネルを経て本州の日本海側に路線が延びている。これは想像だが、将来北陸新幹線や北海道新幹線が完成することを前提として、乗客が激減する並行在来線等を1067mmと1520mmの三線軌道にしてロシア規格の貨物列車を日本海縦貫線に直通運転させる計画なのかもしれない。宇都宮以北の東北本線も仙台近辺以外は閑古鳥が鳴いており、三線軌道化の候補になり得るかもしれない。青函トンネルについては、1067mmと1435mmと1520mmの四線軌道にできればベストだろう。小泉元首相の秘書官であった飯島勲氏がシベリア鉄道の北海道延伸計画について触れている。彼はプーチンロシア首相・次期大統領にこの計画の了承を取っているという。むろん、これは北海道から青函トンネルを経由して本州までシベリア鉄道が延伸されることを意味すると思われる。シベリア鉄道の日本延伸計画については以前からこのブログで詳しく述べてきた。旧ソ連の1520mm軌間の鉄道網に日本の工業力が直結されることは双方にとって利益が非常に大きい。同様の計画が欧州でも進行中であり、オーストリアの首都ウィーンの郊外スロバキア共和国の首都ブラチスラバまでの延伸計画がある。欧州の1435mm軌間の鉄道と旧ソ連の1520mm軌間の鉄道の間では車両の直通は不可能で、台車の交換または荷物の積み替えが必要だった。これは輸送の時間とコストを増大させる。広大なロシアの鉄道網に欧州と日本が直結されることで、ロシアは世界覇権国の一員になる。19世紀末のロンドンを本拠とする国際金融資本は、鉄道の発達でドイツやロシアなどの東欧内陸諸国が発展し世界覇権を奪取することを非常に恐れた。その恐れを率直に述べたのが地政学者マッキンダーの「東欧を制する者がハートランドを制し、ハートランドを制する者が世界島を制し、世界島を制する者が世界を制する」という言葉である。彼らはロシアやドイツを封じ込めるために、米国の国債金融資本と協力して1913年にFRBを設立して米国政府を乗っ取り、ロシアに居住するハザール系ユダヤ人と協力して1917年にロシア革命を起こしてロシアを乗っ取った。そして、アメリカとソ連の二極を支配することで間に位置する日本とドイツを押しつぶして世界支配を成し遂げたのだ。この世界支配の間、米国は日本を大陸から切り離すことを強く要求してきた。第二次大戦前には日本の中国や満州からの撤退を要求してハルノートを日本に突きつけた。日本の敗戦後は日本とソ連の関係改善を妨害し続け、北方領土2島返還での日ソ平和条約を「沖縄を返還しないぞ」と恫喝することで諦めさせた。ソ連・ロシアからの石油・天然ガスのパイプラインでの輸入は容認されず、米国海軍が支配する海路での輸入のみが認められてきた。日本をロシアから切り離して両国の発展を妨害することが国際金融資本の基本方針であったのだ。シベリア鉄道の日本延伸計画は、日本が国際金融資本の支配から独立することを意味する。北方領土問題は解決され、安価で安定供給可能なパイプラインを通じてロシアの天然ガスと石油が日本に供給されることになる。ロシアのパイプラインが中東に延長されることで、日本は中東の石油と天然ガスに海路とパイプラインの両方からアクセスできることになる。また、シベリア鉄道の貨物輸送を通じて欧州に高速で貨物を輸送できる利益も、シベリアの鉱物資源を輸入できる利益も非常に大きい。ロシアにとっても日本との関係改善と貿易増加は巨大な利益である。国際金融資本の世界覇権崩壊後の世界は、技術力に優れ製造業を有する日独両国が、鉄道網・パイプライン網と資源と軍備を有するロシアと組んで世界覇権を握ることになる。米国の海軍力は日独が買い叩いて傭兵として用いるのが良いだろう。モンゴル国で1,600キロメートルにおよぶ貨物鉄道建設計画に係る業務を受注 日本工営株式会社モンゴル国で1,600キロメートルにおよぶ貨物鉄道建設計画に係る業務を受注(2013年7月4日)日本工営株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:廣瀬典昭)は、5月14日、国営モンゴル鉄道と石炭輸送用貨物鉄道の建設計画に係るコンサルタント業務契約を締結しました。受注した業務は、モンゴル国が国家政策として実現に注力する全国の鉄道路線整備計画のうち1,600キロメートル区間を対象とするものです。当社は締結した契約に基づき、同国が事前に実施している測量調査・土質調査・環境調査のレビュー、概略設計、顧客が実施するコントラクター入札手続きの支援を行います。業務の契約期間は、2013年5月から2014年7月までの15ヶ月間で、契約金額は約17億円です。受注業務で対象とする路線は、モンゴル中南部に位置する世界最大級の埋蔵量を有するとされるタバントルゴイ炭田で産出される石炭を、国境を接するロシアの既存路線との連結を通じて輸出拠点となる港湾へ輸送するための貨物鉄道です。タバントルゴイ炭田~モンゴル北東部のフートを経て既存鉄道の始点駅チョイバルサン間およびフート~中国国境ビチクト間の路線新設、ならびにチョイバルサン~ロシア国境エレンツェブに走る既存路線の改良を行うものです。総事業費は52億ドルと試算されています。モンゴル国は世界最大級の石炭鉱山や銅金鉱山などを有し、鉱物資源を主な輸出品目としていますが、そのほとんどを中国向けとしていることから輸出先の多様化を課題としています。計画される貨物鉄道網の実現は、モンゴル国のエネルギー政策上の課題解決に重要な役割を果たすことが期待されます。また、原子力発電所の停止に伴って安価なエネルギー資源を安定的に確保するという課題を抱える我が国にとっても、同国で産出された石炭を安定的に供給する輸送路となることが期待されるものです。日蒙両国のエネルギー政策における課題解決に寄与する意義の大きな本事業に対し、当社は誠意をもって臨むとともに、これまでに蓄積してきた鉄道事業に係る技術を生かし両国の豊かさの実現に貢献すべく力を尽くします。昨夜のNHKニュースで日本企業がモンゴルの鉄道建設を受注したことが報道されていた。現在中国向けに輸出している石炭などの資源をロシア経由で日本や南朝鮮などに輸出する計画とのことだった。軌間1435mmの標準軌の中国と異なりモンゴルの軌間はロシアと同一の1520mmであり、ロシアの鉄道網に直結することになるだろう(中国への輸送は積み替えか貨車の台車変更が必要で時間もコストもかかる)。ネットで調べると日本工営という会社らしい。HPに書かれた鉄道建設計画が実に興味深い。モンゴル南部のゴビ砂漠を東西に走る長大な鉄道路線(以下、本線と呼ぶ)とそこから分岐して中国やロシアに向かう支線に分かれている。中国やロシアに向かう支線は満州・内モンゴル・新疆ウイグル自治区・トゥーバ共和国・アルタイ共和国に向かっており、これらの少数民族地域(モンゴルと同じツラン系)が独立したり中央政府に対する高い自治権を獲得した場合には、満州を経て大連港や北朝鮮の港湾を利用するか、あるいはアルタイ共和国or新疆ウイグル自治区を経てカザフスタン経由でトルコに向かうか、更には内モンゴル・チベット経由でインドに向かう等の鉄道網に発展可能である。日本からユーラシア西部に向かう鉄道はロシアのシベリア鉄道(バム鉄道含む)と、中国からカザフスタンを経由する鉄道がある。満州からモンゴル経由でカザフスタンに向かう鉄道は中国とロシアのいずれも通過しない第三のルートとして非常に貴重であり、今後日本が中国やロシアとの関係が悪化した場合に備えて是非確保しておきたい路線だ。このルートは遊牧民族が利用した草原の道に一致しており、関岡英之が「帝国陸軍見果てぬ防共回廊」で示したモンゴルからトルコに至る回廊地帯にも一致する。中露両国に挟まれたモンゴルは満州やトルコ系中央アジア諸国と協力して東西交通の大動脈の地位に返り咲くことが可能になるのだ。1月5日のニュースではサハリンから首都圏に至る天然ガスパイプライン建設計画が取り上げられている。従来の日本は米軍による輸送ルート遮断の脅迫のためパイプライン建設が不可能で短距離でもLNGで輸入してきた。ロシアの天然ガスパイプラインやシベリア鉄道の日本への延伸は日本を大陸のランドパワーにアクセス可能にすることで、ランドパワーの時代となる21世紀の日本の発展の助けになるだろう。ロシアに対する交渉力確保の観点から、できればカザフスタンからモンゴル・満州・統一朝鮮経由で日本に至る鉄道(軌間1520mmで積み替えなし)や天然ガスパイプラインも建設しておきたい所だ。ミャンマーの野党党首のアウン・サン・スー・チー氏をモンゴル訪問から帰国する際に、ヤンゴン国際空港で多くの支持者が出迎えた。彼女の便は深夜到着だったため、出迎えする人が多くないだろうと思われていたが実際には熱烈な支持者の歓迎を受けた。国民民主連盟副会長のKhin Saw Mu氏は「彼女は外国訪問をする度に、ミャンマーに多大な恩恵をもたらしている」と述べていた。スー・チー氏はエルベグドルジ大統領の招待で、第7回民主主義共同体閣僚級会合に出席するためにモンゴルで1週間滞在したのである。モンゴルではエルベグドルジ大統領と会談し、国会議事堂において共同で講演したりもした。2009年にモンゴル政府とリオ・ティントの間に結ばれた合意書によりモンゴルへの投資が急増したのと同様に、2011年から2012年にかけてのクリントン前国務長官とオバマ大統領のミャンマー訪問は「ミャンマーブーム」の幕開けとなった。近年、モンゴルとミャンマーは共に“フロンティア市場の象徴”になっている。ここでは、両国を比較しながら、投資家にとって重要だと思われる情報を共有したいと思う。カザフスタンを経由する鉄道がある。満州からモンゴル経由でカザフスタンに向かう鉄道は中国とロシアのいずれも通過しない第三のルートとして非常に貴重であり、今後日本が中国やロシアとの関係が悪化した場合に備えて是非確保しておきたい路線だ。このルートは遊牧民族が利用した草原の道に一致しており、関岡英之が「帝国陸軍見果てぬ防共回廊」で示したモンゴルからトルコに至る回廊地帯にも一致する。中露両国に挟まれたモンゴルは満州やトルコ系中央アジア諸国と協力して東西交通の大動脈の地位に返り咲くことが可能になるのだ。1月5日のニュースではサハリンから首都圏に至る天然ガスパイプライン建設計画が取り上げられている。従来の日本は米軍による輸送ルート遮断の脅迫のためパイプライン建設が不可能で短距離でもLNGで輸入してきた。ロシアの天然ガスパイプラインやシベリア鉄道の日本への延伸は日本を大陸のランドパワーにアクセス可能にすることで、ランドパワーの時代となる21世紀の日本の発展の助けになるだろう。ロシアに対する交渉力確保の観点から、できればカザフスタンからモンゴル・満州・統一朝鮮経由で日本に至る鉄道(軌間1520mmで積み替えなし)や天然ガスパイプラインも建設しておきたい所だ。ミャンマーの野党党首のアウン・サン・スー・チー氏をモンゴル訪問から帰国する際に、ヤンゴン国際空港で多くの支持者が出迎えた。彼女の便は深夜到着だったため、出迎えする人が多くないだろうと思われていたが実際には熱烈な支持者の歓迎を受けた。国民民主連盟副会長のKhin Saw Mu氏は「彼女は外国訪問をする度に、ミャンマーに多大な恩恵をもたらしている」と述べていた。スー・チー氏はエルベグドルジ大統領の招待で、第7回民主主義共同体閣僚級会合に出席するためにモンゴルで1週間滞在したのである。モンゴルではエルベグドルジ大統領と会談し、国会議事堂において共同で講演したりもした。2009年にモンゴル政府とリオ・ティントの間に結ばれた合意書によりモンゴルへの投資が急増したのと同様に、2011年から2012年にかけてのクリントン前国務長官とオバマ大統領のミャンマー訪問は「ミャンマーブーム」の幕開けとなった。近年、モンゴルとミャンマーは共に“フロンティア市場の象徴”になっている。ここでは、両国を比較しながら、投資家にとって重要だと思われる情報を共有したいと思う。ロシアと日本を直結するガスパイプラインの建設が始まろうとしている。日本国内では既に最大の消費地の首都圏から新潟までのパイプラインは完成しており、むつ小川原とこれらの地域の間を結ぶパイプラインを建設することは日本にとってもロシアにとっても大きな利益となる。ロシアはトルコ・ウクライナなどの中進国が西欧と同じ価格ではガスを購入できずに価格を値切ることに腹を立てており、アジアで安定的に高値でガスを購入してくれるであろう唯一の先進国である日本に直接ガスを売りたがっている。中国や韓国と比較して、日本の市場としての安定性は圧倒的だからだ。また、将来シベリアのガスパイプラインが建設されてロシアが欧州にもアジアにも自由にガスを輸出できる状態になることは、ロシアのランドパワーとしての力を圧倒的に高めることになる。北方領土問題の解決で日露関係が改善することが如何にロシアの国力を劇的に増大させるかということがよく分かる。これこそ、米国が北方領土問題の解決に強硬に反対していた最大の理由である。「Siberian Curse」には、「ロシアはシベリアの発展のために中国と安定した経済関係を築く必要があり、その為には米国の軍事的プレゼンスが必要」という内容のことが書いてあるが、これはつまりロシアを現在の日本のような米国の属国にして、中国の脅威から守って貰うために米国の言いなりになる状態にしたいという米国の戦略を示したものである。しかしながら米国は属国を脅迫して金を奪うしか取り柄のない三流国家に成り下がりつつあり、それを見越したロシアは米国を一蹴して日本との関係強化を望んだということであろう。ロシアは表向きは米国の侵略に抵抗するために中国との親密な関係を演出しているが、実際には極東地区の住民を中心に中国の脅威に怯える悲鳴が上がっている。愚かな中国の人民はロシアに向かって「ウラジオストクやハバロフスクは中国のものであり奪還する」と豪語したり、シベリアの資源に露骨な関心を示したりしてロシア人の恐怖心を煽ってきた。実に愚かな外交であったと言わざるを得ない。小渕政権以後の日本の首相の中国に対する毅然とした姿勢は、中国の脅威に怯えるロシア極東の住民にとって非常に頼もしいものであったと思われる。今や米国の世界覇権消失とともに日露平和条約が締結されようとしており、日露友好を基盤とした日本とロシアの輝かしい未来が始まろうとしている。第二次大戦後に一世紀に渡る戦争の歴史を終えて固い同盟を結んだ独仏両国が欧州を政治的・経済的に事実上支配しているように、冷戦後に一世紀以上に渡る戦争と対立の歴史を終えて日露が同盟を結ぶならば、それはアジアを政治的・経済的に支配するものとなるだろう。ピークオイルという言葉が示すように、世界の石油生産は既に頂点を過ぎて徐々に減少し始めている。今後の世界のエネルギーは、石油に比べ残存埋蔵量が多く、石油ほどは中東地区に偏在していない天然ガスと石炭に切り替わっていくことだろう。液体・固体で輸送が容易な石油・石炭と異なり、天然ガスは気体である点が輸送を困難にする。海上輸送はLNGの形で行われるが、液化の際に膨大なエネルギーを必要とし、更に液化・気化の設備投資のコスト、高価な輸送船も必要である。これと比べると、パイプラインでの輸送は気体のまま輸送できるし、陸上パイプラインの場合は沿線地域でも利用可能である利点がある。海底パイプラインも、既に黒海を経てロシアかトルコに至るブルーストリームパイプラインが順調に運営されており、樺太と北海道、北海道と本州の間の海底パイプライン建設は技術的に問題ないと思われる。沿海州から日本海海底を経て新潟に至るルートの建設も不可能ではないだろう。また、日本国内でも首都圏・名古屋周辺・関西地区では都市ガス会社による地域ガスパイプライン網が完成しており、これらを連結するパイプラインを建設することで日本の人口の大部分が安価なパイプライン輸送の天然ガスを利用可能になると思われる。首都圏と名古屋の間のパイプライン建設については、第二東名高速道路中間分離帯等に設置し、高速道路と同時に建設することで用地取得コストを引き下げるという提案もあるようだ。これらのパイプラインの建設、電気自動車の普及などによって、日本の石油消費は暖房用灯油・ガソリン・軽油・温室農業用の重油などの分野で大幅に減少させることが可能と思われる。また、日本は工業分野で競合する韓国や台湾よりもパイプライン輸送ガスの供給で先行することにより、エネルギーコストの面で優位に立つことが可能になる。パイプラインは主に陸上に建設されるものであり、そのネットワーク形成は広大な面積を有する大陸国家のランドパワーを大きく増大させるものである。石油から天然ガスへとエネルギー源の移動が起こることは、ロシアやイラン・カザフスタン・パキスタンなどの中東~中央アジア諸国のランドパワーを増大させる。海上輸送の優位性は失われる訳ではないが、相対的に低下することになる。強大な海軍力で世界の海を支配することにより世界覇権を維持してきた米英ユダヤ連合の力もこれにより相対的に低下する。その焦りが、米国のアフガン・イラク侵略やイランへの軍事圧力、中央アジアへの軍隊派遣などの一連の行動の理由であろう。また、北方領土問題解決に反対して日露関係を悪化させることで、中国の脅威に対してロシアが米国の軍事的援助に依存するしかない状況に持ち込んでロシアを属国化したいという米国の戦略も、中東侵略と同様の焦りが原因であると思われる。今後のユーラシア地区の地域間競争を考えると、ロシアなどのガスパイプライン網を有する内陸国家と良好な関係を持ち、大陸国家と自国の間に不安定な外国を持たない、海洋に面した地域が海運やパイプライン輸送天然ガスの安いコストを武器に優位に立つと思われる。最近のインドとパキスタンの関係改善はガスパイプライン建設に関連したものであり、両国は今後の発展が期待される。一方、中国は漢民族に支配された西部の少数民族の不満が高まっている。これらの地域を経由するガスパイプラインが最近完成したばかりであるが、今後チベットやウイグル、内蒙古自治区などで分離独立を求める運動が高まるとパイプライン輸送が滞り困難な事態となるであろう。
  • 2017/01/08 08:45:44返信

    今後のユーラシア地区の地域間競争を考えると、ロシアなどのガスパイプライン網を有する内陸国家と良好な関係を持ち、大陸国家と自国の間に不安定な外国を持たない、海洋に面した地域が海運やパイプライン輸送天然ガスの安いコストを武器に優位に立つと思われる。最近のインドとパキスタンの関係改善はガスパイプライン建設に関連したものであり、両国は今後の発展が期待される。一方、中国は漢民族に支配された西部の少数民族の不満が高まっている。これらの地域を経由するガスパイプラインが最近完成したばかりであるが、今後チベットやウイグル、内蒙古自治区などで分離独立を求める運動が高まるとパイプライン輸送が滞り困難な事態となるであろう。また、事態収拾のためにこれらの少数民族を独立させた後も、漢民族による弾圧への強い憎悪が継続し、現在のバルト三国やポーランドの反ロシア政策と同様の敵対的政策のため円滑なパイプライン輸送は困難となると思われる。ロシアも人口14億の中国が強大化することは望まないと考えられるので、ロシアからのガス輸出もあまり期待できないだろう。台湾も中国の沖合という地理的条件を考えると不利である。韓国は北朝鮮地域の情勢と中国を含めた東アジア情勢次第ではロシアからのガス輸出が期待できるが、日本の安全保障を考えると中国だけでなく韓国もロシアのガスパイプライン網から切り離された低開発地域に留まらせることが理想的であろう。日韓併合による文明化という恩を忘れて、捏造された従軍慰安婦強制連行問題等で日本を罵倒する主張を世界に撒き散らし続けた韓国という国に対して日本は強い罰を与える必要がある。これは、韓国・イスラエルを見せしめにして東欧諸国の反ロシア感情を抑制したいロシア、イスラエルを見せしめにして東欧諸国の反ドイツ感情を抑制したいドイツも同意すると思われる。ロシア訪問中の前原政策調査会長は5月3日にロシア側と会談し、サハリンから北海道へのガスパイプラインの建設計画について触れた。この計画については既に私が6年前に記事にしているので上記リンクをお読みいただきたい。6年前の記事との変化としては、パイプラインを本州に延伸する場合に東北地方の太平洋岸の被災地を通過することが挙げられる。これは、パイプラインを東北地方太平洋岸の海底に敷設することを意味すると思われる。陸上よりも海底の方が建設コストが安いようだ。従来の日本はロシアからの輸入を含めて天然ガスは全て液化させて船で輸入してきた。これは、米国や国際金融資本の命令で、日本はロシアからのパイプラインによるガス輸入が禁止されていたからだと思われる。米国としては日本をコントロールするために、日本の輸出入が全て海運と空運で行われるべきであり、日本周辺海域と空域を米軍が支配することで日本を完全支配するという方針であったのだと思われる。今回の前原の発言はこの米国による日本支配が終焉し、日本が独立国としてロシアと自由に取引できる状態に移行しつつあることを示している。液化天然ガスは輸出入相手国の多角化が可能だが液化・ガス化のコストが高いこと、輸送船のコストが高いことからどうしても割高になる。ロシアのガス田は日本に比較的近いのでパイプラインで輸入するのが合理的である。日本にとって、コストが安く安定供給が期待でき、供給源を多角化できる利益は非常に大きい。ロシアとしても、金持ちで絶対に支払いが滞ることの無い上客の日本とのガスパイプライン建設は極めて利益が大きい。ウクライナやベラルーシなどの貧乏国よりも日本にガスを売った方がロシアは絶対に得なのだ。中国以外のガス輸出先を東アジアに確保することで中国に対する価格交渉力を高めることもできる利益もある。このようにロシアと日本が友好関係を持つことは両国に巨大な利益をもたらす。それは米国の日本やロシアに対する影響力の低下を意味する。また、米国の次の寄生先として日本とロシアを乗っ取るという1985年以降の国際金融資本の戦略を不可能にすることになる。それ故に国際金融資本は日露友好を警戒し日本を脅迫し続けてきたのだろう。しかし、今や国際金融資本自体が滅亡しつつあり、やっと日露両国の支配階層が切望してきた日露友好が可能になりつつあるのだと思われる。パイプライン建設の次には必ずや北方領土問題の解決と宗谷海峡トンネル建設によるシベリア鉄道の日本への延伸が発表されるはずだ。2002年7月に発表された樺太の鉄道の軌間をロシア本土と同じ1520mmに統一する計画は現在工事が進められている様である。ロシア鉄道路線図に示された間宮海峡横断鉄道計画と合わせると、樺太の鉄道をシベリア鉄道に連結することが目的であると考えられる。宗谷海峡トンネル鉄道の優先順位が低いのは、日本側が現時点では計画に賛成していないことを示すのかもしれない。栢洲世策考廠では、この計画を前提として日本が宗谷海峡トンネルを建設してシベリア鉄道を日本に直結させるべきかどうかについて検討を行い、日本の在来線とロシアの鉄道を直結することは合理的でないと主張している。日本の新幹線の規格はロシアの鉄道に比較的近いと考えられるので、軌間1520mmの新貨物幹線を建設するか、あるいは新幹線を1520mmに改軌すれば同じ線路を走らせることは不可能ではなくなるかもしれない。しかし、高速の新幹線と鈍足の貨物列車を同じ線路に走らせるのはやはり無理がある。従って、もしシベリア鉄道を日本に直結するならば、ロシアの鉄道規格の新貨物路線を新たに建設するか、あるいは遠い将来にリニアモーターカーが普及して新幹線の客が減った時点で新幹線を改軌して貨物鉄道に転用するしかないであろう。いずれにしても、長大な新路線の建設が前提であり、莫大な費用が必要となる。そして、国境の通関の存在、日本海を利用した海運の安価さを考えると、コストに見合うメリットがあるかどうか疑問である。悪天候による船の欠航の影響がなくなる効果はあるだろうが、悪天候による列車の運行止めも起きうるだろう。私も栢洲世策考廠と同じく、少なくとも現時点では宗谷海峡トンネルは不要であると思う。では、ロシア政府が樺太の鉄道をシベリア鉄道に連結する計画の狙いは何だろうか?以下のような目的が想像される。1:日本政府との密約でシベリア鉄道規格の貨物輸送鉄道の日本への延伸が決まっているか、あるいは現在交渉中である。私は政府関係者ではないので論評不能。2:本土と樺太を結ぶ鉄道連絡船の費用や、樺太の鉄道が本土と規格の異なることによる余剰経費の削減。新路線建設や軌間統一の工事費用に見合うとは思えない。もし見合うなら、ソ連時代に実行されているはず。3:樺太を鉄道で本土と一体化することで、カムチャッカやマガダンなどへの海運の拠点を沿海州から樺太に移し、海運の費用を削減する。あり得るが、費用に見合うだけのメリットがあるかどうか疑問。樺太東岸は長期間結氷するのも欠点。4:樺太を鉄道で本土と一体化することで、中国軍が中露国境を越えて侵入してきた際の極東地区の住民の避難先として確保する。樺太南部のユジノサハリンスクをロシア東部地域の首都、あるいは臨時首都候補として整備する。これは最も説得力がある。ナポレオン戦争や第二次世界大戦で、ロシア軍は西方からの敵の侵入に対してどんどん東へ撤退する戦術を採った。日中戦争でも中国国民党政府は南京から奥地の重慶へと撤退した。しかし、現在のロシア極東は中露国境沿いに人口も交通網も集中しており、奥地へ撤退するための交通機関も、奥地の拠点もない国境沿いの方が、満州を植民地支配するのに好都合でもあったのだろう。しかしながら、中国の経済的躍進、あるいは人口の激増は今やロシア極東に対する大きな脅威となっている。この現状で、ハバロフスクやウラジオストクに更に中枢機能を集中させるのか、それとも国境から遠いコムソモリスク・ナ・アムーレ、ナホトカ、樺太南部などに中枢機能を移すのか?その答えは恐らく数年以内に分かるはずである。【3月23日追記】ロシアの海底トンネルのイラストを見ると、バム鉄道から間宮海峡トンネル、樺太、宗谷海峡トンネル、北海道、青函トンネルを経て本州の日本海側に路線が延びている。これは想像だが、将来北陸新幹線や北海道新幹線が完成することを前提として、乗客が激減する並行在来線等を1067mmと1520mmの三線軌道にしてロシア規格の貨物列車を日本海縦貫線に直通運転させる計画なのかもしれない。宇都宮以北の東北本線も仙台近辺以外は閑古鳥が鳴いており、三線軌道化の候補になり得るかもしれない。青函トンネルについては、1067mmと1435mmと1520mmの四線軌道にできればベストだろう。小泉元首相の秘書官であった飯島勲氏がシベリア鉄道の北海道延伸計画について触れている。彼はプーチンロシア首相・次期大統領にこの計画の了承を取っているという。むろん、これは北海道から青函トンネルを経由して本州までシベリア鉄道が延伸されることを意味すると思われる。シベリア鉄道の日本延伸計画については以前からこのブログで詳しく述べてきた。旧ソ連の1520mm軌間の鉄道網に日本の工業力が直結されることは双方にとって利益が非常に大きい。同様の計画が欧州でも進行中であり、オーストリアの首都ウィーンの郊外スロバキア共和国の首都ブラチスラバまでの延伸計画がある。欧州の1435mm軌間の鉄道と旧ソ連の1520mm軌間の鉄道の間では車両の直通は不可能で、台車の交換または荷物の積み替えが必要だった。これは輸送の時間とコストを増大させる。広大なロシアの鉄道網に欧州と日本が直結されることで、ロシアは世界覇権国の一員になる。19世紀末のロンドンを本拠とする国際金融資本は、鉄道の発達でドイツやロシアなどの東欧内陸諸国が発展し世界覇権を奪取することを非常に恐れた。その恐れを率直に述べたのが地政学者マッキンダーの「東欧を制する者がハートランドを制し、ハートランドを制する者が世界島を制し、世界島を制する者が世界を制する」という言葉である。彼らはロシアやドイツを封じ込めるために、米国の国債金融資本と協力して1913年にFRBを設立して米国政府を乗っ取り、ロシアに居住するハザール系ユダヤ人と協力して1917年にロシア革命を起こしてロシアを乗っ取った。そして、アメリカとソ連の二極を支配することで間に位置する日本とドイツを押しつぶして世界支配を成し遂げたのだ。この世界支配の間、米国は日本を大陸から切り離すことを強く要求してきた。第二次大戦前には日本の中国や満州からの撤退を要求してハルノートを日本に突きつけた。日本の敗戦後は日本とソ連の関係改善を妨害し続け、北方領土2島返還での日ソ平和条約を「沖縄を返還しないぞ」と恫喝することで諦めさせた。ソ連・ロシアからの石油・天然ガスのパイプラインでの輸入は容認されず、米国海軍が支配する海路での輸入のみが認められてきた。日本をロシアから切り離して両国の発展を妨害することが国際金融資本の基本方針であったのだ。シベリア鉄道の日本延伸計画は、日本が国際金融資本の支配から独立することを意味する。北方領土問題は解決され、安価で安定供給可能なパイプラインを通じてロシアの天然ガスと石油が日本に供給されることになる。ロシアのパイプラインが中東に延長されることで、日本は中東の石油と天然ガスに海路とパイプラインの両方からアクセスできることになる。また、シベリア鉄道の貨物輸送を通じて欧州に高速で貨物を輸送できる利益も、シベリアの鉱物資源を輸入できる利益も非常に大きい。ロシアにとっても日本との関係改善と貿易増加は巨大な利益である。国際金融資本の世界覇権崩壊後の世界は、技術力に優れ製造業を有する日独両国が、鉄道網・パイプライン網と資源と軍備を有するロシアと組んで世界覇権を握ることになる。米国の海軍力は日独が買い叩いて傭兵として用いるのが良いだろう。モンゴル国で1,600キロメートルにおよぶ貨物鉄道建設計画に係る業務を受注 日本工営株式会社モンゴル国で1,600キロメートルにおよぶ貨物鉄道建設計画に係る業務を受注(2013年7月4日)日本工営株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:廣瀬典昭)は、5月14日、国営モンゴル鉄道と石炭輸送用貨物鉄道の建設計画に係るコンサルタント業務契約を締結しました。受注した業務は、モンゴル国が国家政策として実現に注力する全国の鉄道路線整備計画のうち1,600キロメートル区間を対象とするものです。当社は締結した契約に基づき、同国が事前に実施している測量調査・土質調査・環境調査のレビュー、概略設計、顧客が実施するコントラクター入札手続きの支援を行います。業務の契約期間は、2013年5月から2014年7月までの15ヶ月間で、契約金額は約17億円です。受注業務で対象とする路線は、モンゴル中南部に位置する世界最大級の埋蔵量を有するとされるタバントルゴイ炭田で産出される石炭を、国境を接するロシアの既存路線との連結を通じて輸出拠点となる港湾へ輸送するための貨物鉄道です。タバントルゴイ炭田~モンゴル北東部のフートを経て既存鉄道の始点駅チョイバルサン間およびフート~中国国境ビチクト間の路線新設、ならびにチョイバルサン~ロシア国境エレンツェブに走る既存路線の改良を行うものです。総事業費は52億ドルと試算されています。モンゴル国は世界最大級の石炭鉱山や銅金鉱山などを有し、鉱物資源を主な輸出品目としていますが、そのほとんどを中国向けとしていることから輸出先の多様化を課題としています。計画される貨物鉄道網の実現は、モンゴル国のエネルギー政策上の課題解決に重要な役割を果たすことが期待されます。また、原子力発電所の停止に伴って安価なエネルギー資源を安定的に確保するという課題を抱える我が国にとっても、同国で産出された石炭を安定的に供給する輸送路となることが期待されるものです。日蒙両国のエネルギー政策における課題解決に寄与する意義の大きな本事業に対し、当社は誠意をもって臨むとともに、これまでに蓄積してきた鉄道事業に係る技術を生かし両国の豊かさの実現に貢献すべく力を尽くします。昨夜のNHKニュースで日本企業がモンゴルの鉄道建設を受注したことが報道されていた。現在中国向けに輸出している石炭などの資源をロシア経由で日本や南朝鮮などに輸出する計画とのことだった。軌間1435mmの標準軌の中国と異なりモンゴルの軌間はロシアと同一の1520mmであり、ロシアの鉄道網に直結することになるだろう(中国への輸送は積み替えか貨車の台車変更が必要で時間もコストもかかる)。ネットで調べると日本工営という会社らしい。HPに書かれた鉄道建設計画が実に興味深い。モンゴル南部のゴビ砂漠を東西に走る長大な鉄道路線(以下、本線と呼ぶ)とそこから分岐して中国やロシアに向かう支線に分かれている。中国やロシアに向かう支線は満州・内モンゴル・新疆ウイグル自治区・トゥーバ共和国・アルタイ共和国に向かっており、これらの少数民族地域(モンゴルと同じツラン系)が独立したり中央政府に対する高い自治権を獲得した場合には、満州を経て大連港や北朝鮮の港湾を利用するか、あるいはアルタイ共和国or新疆ウイグル自治区を経てカザフスタン経由でトルコに向かうか、更には内モンゴル・チベット経由でインドに向かう等の鉄道網に発展可能である。日本からユーラシア西部に向かう鉄道はロシアのシベリア鉄道(バム鉄道含む)と、中国からカザフスタンを経由する鉄道がある。満州からモンゴル経由でカザフスタンに向かう鉄道は中国とロシアのいずれも通過しない第三のルートとして非常に貴重であり、今後日本が中国やロシアとの関係が悪化した場合に備えて是非確保しておきたい路線だ。このルートは遊牧民族が利用した草原の道に一致しており、関岡英之が「帝国陸軍見果てぬ防共回廊」で示したモンゴルからトルコに至る回廊地帯にも一致する。中露両国に挟まれたモンゴルは満州やトルコ系中央アジア諸国と協力して東西交通の大動脈の地位に返り咲くことが可能になるのだ。1月5日のニュースではサハリンから首都圏に至る天然ガスパイプライン建設計画が取り上げられている。従来の日本は米軍による輸送ルート遮断の脅迫のためパイプライン建設が不可能で短距離でもLNGで輸入してきた。ロシアの天然ガスパイプラインやシベリア鉄道の日本への延伸は日本を大陸のランドパワーにアクセス可能にすることで、ランドパワーの時代となる21世紀の日本の発展の助けになるだろう。ロシアに対する交渉力確保の観点から、できればカザフスタンからモンゴル・満州・統一朝鮮経由で日本に至る鉄道(軌間1520mmで積み替えなし)や天然ガスパイプラインも建設しておきたい所だ。ミャンマーの野党党首のアウン・サン・スー・チー氏をモンゴル訪問から帰国する際に、ヤンゴン国際空港で多くの支持者が出迎えた。彼女の便は深夜到着だったため、出迎えする人が多くないだろうと思われていたが実際には熱烈な支持者の歓迎を受けた。国民民主連盟副会長のKhin Saw Mu氏は「彼女は外国訪問をする度に、ミャンマーに多大な恩恵をもたらしている」と述べていた。スー・チー氏はエルベグドルジ大統領の招待で、第7回民主主義共同体閣僚級会合に出席するためにモンゴルで1週間滞在したのである。モンゴルではエルベグドルジ大統領と会談し、国会議事堂において共同で講演したりもした。2009年にモンゴル政府とリオ・ティントの間に結ばれた合意書によりモンゴルへの投資が急増したのと同様に、2011年から2012年にかけてのクリントン前国務長官とオバマ大統領のミャンマー訪問は「ミャンマーブーム」の幕開けとなった。近年、モンゴルとミャンマーは共に“フロンティア市場の象徴”になっている。ここでは、両国を比較しながら、投資家にとって重要だと思われる情報を共有したいと思う。ロシアと日本を直結するガスパイプラインの建設が始まろうとしている。日本国内では既に最大の消費地の首都圏から新潟までのパイプラインは完成しており、むつ小川原とこれらの地域の間を結ぶパイプラインを建設することは日本にとってもロシアにとっても大きな利益となる。ロシアはトルコ・ウクライナなどの中進国が西欧と同じ価格ではガスを購入できずに価格を値切ることに腹を立てており、アジアで安定的に高値でガスを購入してくれるであろう唯一の先進国である日本に直接ガスを売りたがっている。中国や韓国と比較して、日本の市場としての安定性は圧倒的だからだ。また、将来シベリアのガスパイプラインが建設されてロシアが欧州にもアジアにも自由にガスを輸出できる状態になることは、ロシアのランドパワーとしての力を圧倒的に高めることになる。北方領土問題の解決で日露関係が改善することが如何にロシアの国力を劇的に増大させるかということがよく分かる。これこそ、米国が北方領土問題の解決に強硬に反対していた最大の理由である。「Siberian Curse」には、「ロシアはシベリアの発展のために中国と安定した経済関係を築く必要があり、その為には米国の軍事的プレゼンスが必要」という内容のことが書いてあるが、これはつまりロシアを現在の日本のような米国の属国にして、中国の脅威から守って貰うために米国の言いなりになる状態にしたいという米国の戦略を示したものである。しかしながら米国は属国を脅迫して金を奪うしか取り柄のない三流国家に成り下がりつつあり、それを見越したロシアは米国を一蹴して日本との関係強化を望んだということであろう。ロシアは表向きは米国の侵略に抵抗するために中国との親密な関係を演出しているが、実際には極東地区の住民を中心に中国の脅威に怯える悲鳴が上がっている。愚かな中国の人民はロシアに向かって「ウラジオストクやハバロフスクは中国のものであり奪還する」と豪語したり、シベリアの資源に露骨な関心を示したりしてロシア人の恐怖心を煽ってきた。実に愚かな外交であったと言わざるを得ない。小渕政権以後の日本の首相の中国に対する毅然とした姿勢は、中国の脅威に怯えるロシア極東の住民にとって非常に頼もしいものであったと思われる。今や米国の世界覇権消失とともに日露平和条約が締結されようとしており、日露友好を基盤とした日本とロシアの輝かしい未来が始まろうとしている。第二次大戦後に一世紀に渡る戦争の歴史を終えて固い同盟を結んだ独仏両国が欧州を政治的・経済的に事実上支配しているように、冷戦後に一世紀以上に渡る戦争と対立の歴史を終えて日露が同盟を結ぶならば、それはアジアを政治的・経済的に支配するものとなるだろう。ピークオイルという言葉が示すように、世界の石油生産は既に頂点を過ぎて徐々に減少し始めている。今後の世界のエネルギーは、石油に比べ残存埋蔵量が多く、石油ほどは中東地区に偏在していない天然ガスと石炭に切り替わっていくことだろう。液体・固体で輸送が容易な石油・石炭と異なり、天然ガスは気体である点が輸送を困難にする。海上輸送はLNGの形で行われるが、液化の際に膨大なエネルギーを必要とし、更に液化・気化の設備投資のコスト、高価な輸送船も必要である。これと比べると、パイプラインでの輸送は気体のまま輸送できるし、陸上パイプラインの場合は沿線地域でも利用可能である利点がある。海底パイプラインも、既に黒海を経てロシアかトルコに至るブルーストリームパイプラインが順調に運営されており、樺太と北海道、北海道と本州の間の海底パイプライン建設は技術的に問題ないと思われる。沿海州から日本海海底を経て新潟に至るルートの建設も不可能ではないだろう。また、日本国内でも首都圏・名古屋周辺・関西地区では都市ガス会社による地域ガスパイプライン網が完成しており、これらを連結するパイプラインを建設することで日本の人口の大部分が安価なパイプライン輸送の天然ガスを利用可能になると思われる。首都圏と名古屋の間のパイプライン建設については、第二東名高速道路中間分離帯等に設置し、高速道路と同時に建設することで用地取得コストを引き下げるという提案もあるようだ。これらのパイプラインの建設、電気自動車の普及などによって、日本の石油消費は暖房用灯油・ガソリン・軽油・温室農業用の重油などの分野で大幅に減少させることが可能と思われる。また、日本は工業分野で競合する韓国や台湾よりもパイプライン輸送ガスの供給で先行することにより、エネルギーコストの面で優位に立つことが可能になる。パイプラインは主に陸上に建設されるものであり、そのネットワーク形成は広大な面積を有する大陸国家のランドパワーを大きく増大させるものである。石油から天然ガスへとエネルギー源の移動が起こることは、ロシアやイラン・カザフスタン・パキスタンなどの中東~中央アジア諸国のランドパワーを増大させる。海上輸送の優位性は失われる訳ではないが、相対的に低下することになる。強大な海軍力で世界の海を支配することにより世界覇権を維持してきた米英ユダヤ連合の力もこれにより相対的に低下する。その焦りが、米国のアフガン・イラク侵略やイランへの軍事圧力、中央アジアへの軍隊派遣などの一連の行動の理由であろう。また、北方領土問題解決に反対して日露関係を悪化させることで、中国の脅威に対してロシアが米国の軍事的援助に依存するしかない状況に持ち込んでロシアを属国化したいという米国の戦略も、中東侵略と同様の焦りが原因であると思われる。今後のユーラシア地区の地域間競争を考えると、ロシアなどのガスパイプライン網を有する内陸国家と良好な関係を持ち、大陸国家と自国の間に不安定な外国を持たない、海洋に面した地域が海運やパイプライン輸送天然ガスの安いコストを武器に優位に立つと思われる。最近のインドとパキスタンの関係改善はガスパイプライン建設に関連したものであり、両国は今後の発展が期待される。一方、中国は漢民族に支配された西部の少数民族の不満が高まっている。これらの地域を経由するガスパイプラインが最近完成したばかりであるが、今後チベットやウイグル、内蒙古自治区などで分離独立を求める運動が高まるとパイプライン輸送が滞り困難な事態となるであろう。また、事態収拾のためにこれらの少数民族を独立させた後も、漢民族による弾圧への強い憎悪が継続し、現在のバルト三国やポーランドの反ロシア政策と同様の敵対的政策のため円滑なパイプライン輸送は困難となると思われる。ロシアも人口14億の中国が強大化することは望まないと考えられるので、ロシアからのガス輸出もあまり期待できないだろう。台湾も中国の沖合という地理的条件を考えると不利である。韓国は北朝鮮地域の情勢と中国を含めた東アジア情勢次第ではロシアからのガス輸出が期待できるが、日本の安全保障を考えると中国だけでなく韓国もロシアのガスパイプライン網から切り離された低開発地域に留まらせることが理想的であろう。日韓併合による文明化という恩を忘れて、捏造された従軍慰安婦強制連行問題等で日本を罵倒する主張を世界に撒き散らし続けた韓国という国に対して日本は強い罰を与える必要がある。これは、韓国・イスラエルを見せしめにして東欧諸国の反ロシア感情を抑制したいロシア、イスラエルを見せしめにして東欧諸国の反ドイツ感情を抑制したいドイツも同意すると思われる。ロシア訪問中の前原政策調査会長は5月3日にロシア側と会談し、サハリンから北海道へのガスパイプラインの建設計画について触れた。この計画については既に私が6年前に記事にしているので上記リンクをお読みいただきたい。6年前の記事との変化としては、パイプラインを本州に延伸する場合に東北地方の太平洋岸の被災地を通過することが挙げられる。これは、パイプラインを東北地方太平洋岸の海底に敷設することを意味すると思われる。陸上よりも海底の方が建設コストが安いようだ。従来の日本はロシアからの輸入を含めて天然ガスは全て液化させて船で輸入してきた。これは、米国や国際金融資本の命令で、日本はロシアからのパイプラインによるガス輸入が禁止されていたからだと思われる。米国としては日本をコントロールするために、日本の輸出入が全て海運と空運で行われるべきであり、日本周辺海域と空域を米軍が支配することで日本を完全支配するという方針であったのだと思われる。今回の前原の発言はこの米国による日本支配が終焉し、日本が独立国としてロシアと自由に取引できる状態に移行しつつあることを示している。液化天然ガスは輸出入相手国の多角化が可能だが液化・ガス化のコストが高いこと、輸送船のコストが高いことからどうしても割高になる。ロシアのガス田は日本に比較的近いのでパイプラインで輸入するのが合理的である。日本にとって、コストが安く安定供給が期待でき、供給源を多角化できる利益は非常に大きい。ロシアとしても、金持ちで絶対に支払いが滞ることの無い上客の日本とのガスパイプライン建設は極めて利益が大きい。ウクライナやベラルーシなどの貧乏国よりも日本にガスを売った方がロシアは絶対に得なのだ。中国以外のガス輸出先を東アジアに確保することで中国に対する価格交渉力を高めることもできる利益もある。このようにロシアと日本が友好関係を持つことは両国に巨大な利益をもたらす。
  • 2017/01/10 16:09:48返信

    紅の白豚ランボルギーニくんこと、
    
    JM◯総研の高橋保◯は加賀の子飼いのフロント企業みたいなものです。
    
    善良な一般市民から総額15億円以上の金を奪い、加賀に貢ぎ、その謝礼として10%以上の紹介料を得ていた、れっきとした加賀の一番の共犯者です。
    
    その1億5000万円以上にものぼる多額の紹介手数料で、似合いもしないランボルギーニを買って、気持ち悪いニヤけ顔で調子こいてランボルギーニを乗り回していました。
    
    これ以上被害者を出さないためにも、JM◯高橋がキチ◯イ長文大量投稿を続ける限り、何回でも書き込みます。
    
    JM◯高橋も、加賀と同様、いずれ捕まることは時間の問題でしょうから、周りの人間たちも注意されることをオススメします。
    
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
    JM◯総研の高橋保◯は詐欺師
  • 2017/01/11 10:50:29返信

    JM◯高橋は、JM◯総研の名刺を切りながら、加賀の詐欺に率先して加担していた。
    
    彼はJM◯の取締役だ。
    会社の責任ある立場の人物のはずた。
    
    つまり、JM◯総研は会社ぐるみで、加賀の詐欺に加担していたのか?
    
    JM◯総研の代表取締役も知ってのことか?
    JM◯総研の代表取締役は、国家資格を持っている人物だろ?
    大丈夫か?
    これだけの大規模詐欺に関わって、国家資格剥奪とかにはならんのか?
    • 2017/01/12 08:11:49返信

      その会社の代表取締役は確か、社会保険労務士の資格を持つ者だったな。
      
      高橋がその会社の名刺で、加賀祐介の詐欺に加担する営業活動を行っているのであれば、会社として関わっているということなので、当然その会社の代表取締役は知っていなければおかしいだろう。
      
      もし代表取締役が知らなかったとしたら、代表取締役としては監督不行き届きで、最高責任を負うべき管理者として、責任を完全に免がれることはできないだろう。
      
      さらに、代表取締役が知らないところで高橋が会社の名刺を使って営業活動をし、報酬(詐欺であるが)を得て、会社に何の報告もないようであれば、取締役という立場から、それはれっきとした背任行為にあたる。
      
      どの側面から見ても、高橋は悪質極まりない。
  • 2017/01/12 07:27:18返信

    金融会社社長父子、11億円超を投資詐欺か
    日本テレビ系(NNN) 2017/1/11(水) 22:48配信
    
    香港の金融事業への投資を持ちかけて、出資者から約2億4000万円をだまし取ったとして、金融会社の社長と息子が逮捕された。
    
    金融会社社長の落合文太郎容疑者(71)と二男の是光容疑者(47)は、2010年5月頃、都内の男性(71)に香港での消費者金融事業の投資を持ちかけ、約2億4000万円をだまし取った疑いが持たれている。
    
    2人は出資者らに「年利13%の利息を約束する」などとウソの説明や、旧ソ連の大統領だったゴルバチョフ氏と撮影した写真を使用するなどし、信用させていたという。しかし、実際に事業に投資したのは一部で、多くは出資者への利払いや遊興費に使っていたという。
    
    2人はいずれも容疑を否認しているということだが、警視庁は、少なくとも二十数人から11億円以上をだまし取ったとみて調べている。
    
    
    JM◯総研の高橋は15億円以上を騙し取っている。
    加賀祐介は30億円以上を騙し取っている。
    この二人も立派な逮捕案件に値する。
  • 2017/01/12 17:05:43返信

    詐欺師の共犯者が騒いでる。。。暇なんだな。仕事なくて。
  • 2017/01/16 14:51:51返信

    白豚ニヤケ高橋くんは、加賀祐介に単に利用されただけだろ。
    単なるアホの加賀祐介に利用された白豚ニヤケ高橋くんは加賀祐介以上のアホだなww
    アホ同士、仲良く刑務所で過ごすことになるんだろうけど。
    • 2017/01/17 10:49:49返信

      加賀はJMG高橋のことは鬱陶しがってたけど、勝手に金集めてくるから便利に使ってるって言ってたぞ。
      加賀は最終的には、高橋が集めた金は、全部高橋の責任にするつもりみたいだったぞ。
  • 2017/01/17 10:54:09返信

    JMG総研て、ちゃんと九段北に会社あんの?
  • 2017/01/18 14:23:47返信

    馬鹿馬の遠吠えが木霊する嵌めっられっこの集まる板。。。ははは 1日何回も嵌めっ子を騙すレースがあります。そのうち半分ぐらいは馬鹿人に人気上位の騙され馬鹿馬で決着します。ですからよくレースを吟味して、固く決まりそうなレースだけに絞って、馬鹿馬連人気上位の馬券を嵌めれば当たるでしょう。ただし、固く決まりそうなレースが必ず発生するわけではありませんからよく注意してください」というものでした。たしかに言われりゃそのとおりなのですが、これは一般的な競馬の馬券術の理論、知識であってわざわざ金を取って人に教えるものではないと思います。ビジネス書籍でもそうですが「言われて初めて気がついた」と言う常識があります。目から鱗なこの手の書籍はそれでも結構な書籍の値段がしますね。たぶん、本屋に行けばその手の書籍はごろごろしてますよ?立ち読みでも済んだことでしょうが表紙にだまされて衝動買いしたと言えますね。メール配信してくれる分、手間はかからない?と言うところでしょう。ちなみに実践したんですか?意外と的を得ているかも知れないですよ。昔、会社として「気象、出走馬のコンディションと特徴、馬場の状況」などのデータから長年の経験をもとにしたパソコンで勝率計算を行い、多額の馬券を購入し、倍率を調整して多額の配当金を得ていた組織がありました。確か数年にわたり何十億と荒稼ぎしましたが脱税で国外逃亡しました。出来るならこれに近いことをすれば稼げますよ。でも、普通の人はやらないと思いますけど・・・。みんな知っていることをやるかやらないかはその人の自由ですし、実際多くの人が面倒だからやらないのでしょ?パチンコなどの必勝法も機械のバグをついていることがあり、メーカーが対応する数カ月の間であれば荒稼ぎ出来たということもあるようです。この場合は儲けを出した人もいるという話です。あと警察も国民生活センターもお役所仕事なのはその通りで「法律上の抜け穴」を突かれると何とも対応できません。だから前もって「過去にこのような詐欺やトラブルが横行しています。気をつけて下さいね」と警告もしています。それは見ましたか?そうでない場合は「立ち入り禁止の警告」を見ないで危険箇所に踏み込んでけがをして行政が悪いと言っているのとたいして変わりませんよ。お金を「取り戻せるか」はわかりませんが民事裁判をすることはできますよ。ただし、お金はかかります。その費用を抑えるなら弁護士に5000円ぐらいで法律相談だけして自分で少額訴訟を起こします。ただし、費用と手間を考えると損ですね。会員の中でも特別であるコースに抽選の結果当選したなどとメールがきます。 特別コースは、高確率の的中など内容が破格なので一見魅力的に映ります。 しかし、実績などは一部あるいは全て架空なので入る意味がないコースなのです。 情報料も高額なケースが多く気を付ける必要があります。
    まず、一般や特別など複数のコースがある時点で、その会社は悪徳業者の可能性が強まってきます。 なぜ、いちいちコースが複数あるのでしょうか? コースが一つだと的中レースの捏造がやりにくい為です。 会員のいないコースを用意しておけば、何でもありの捏造がやりたい実績を偽れるわけです。 複数のコースがない予想会社は、真面目な運営がなされている予想会社であることの一つの条件と言えるかも知れません。
    「一口ひとくちでいうと、叔父は私わたくしの財産を胡魔化ごまかしたのです。事は私が東京へ出ている三年の間に容易たやすく行われたのです。すべてを叔父任まかせにして平気でいた私は、世間的にいえば本当の馬鹿でした。世間的以上の見地から評すれば、あるいは純なる尊たっとい男とでもいえましょうか。私はその時の己おのれを顧みて、なぜもっと人が悪く生れて来なかったかと思うと、正直過ぎた自分が口惜くやしくって堪たまりません。しかしまたどうかして、もう一度ああいう生れたままの姿に立ち帰って生きて見たいという心持も起るのです。記憶して下さい、あなたの知っている私は塵ちりに汚れた後あとの私です。きたなくなった年数の多いものを先輩と呼ぶならば、私はたしかにあなたより先輩でしょう。もし私が叔父の希望通り叔父の娘と結婚したならば、その結果は物質的に私に取って有利なものでしたろうか。これは考えるまでもない事と思います。叔父おじは策略で娘を私に押し付けようとしたのです。好意的に両家の便宜を計るというよりも、ずっと下卑げびた利害心に駆られて、結婚問題を私に向けたのです。私は従妹いとこを愛していないだけで、嫌ってはいなかったのですが、後から考えてみると、それを断ったのが私には多少の愉快になると思います。胡魔化ごまかされるのはどっちにしても同じでしょうけれども、載のせられ方からいえば、従妹を貰もらわない方が、向うの思い通りにならないという点から見て、少しは私の我がが通った事になるのですから。しかしそれはほとんど問題とするに足りない些細ささいな事柄です。ことに関係のないあなたにいわせたら、さぞ馬鹿気ばかげた意地に見えるでしょう。私と叔父の間に他たの親戚しんせきのものがはいりました。その親戚のものも私はまるで信用していませんでした。信用しないばかりでなく、むしろ敵視していました。私は叔父が私を欺あざむいたと覚さとると共に、他ほかのものも必ず自分を欺くに違いないと思い詰めました。父があれだけ賞ほめ抜いていた叔父ですらこうだから、他のものはというのが私の論理ロジックでした。それでも彼らは私のために、私の所有にかかる一切いっさいのものを纏まとめてくれました。それは金額に見積ると、私の予期より遥はるかに少ないものでした。私としては黙ってそれを受け取るか、でなければ叔父を相手取って公沙汰おおやけざたにするか、二つの方法しかなかったのです。私は憤いきどおりました。また迷いました。訴訟にすると落着らくちゃくまでに長い時間のかかる事も恐れました。私は修業中のからだですから、学生として大切な時間を奪われるのは非常の苦痛だとも考えました。私は思案の結果、市しにおる中学の旧友に頼んで、私の受け取ったものを、すべて金の形かたちに変えようとしました。旧友は止よした方が得だといって忠告してくれましたが、私は聞きませんでした。私は永く故郷こきょうを離れる決心をその時に起したのです。叔父の顔を見まいと心のうちで誓ったのです。
     私は国を立つ前に、また父と母の墓へ参りました。私はそれぎりその墓を見た事がありません。もう永久に見る機会も来ないでしょう。私の旧友は私の言葉通りに取り計らってくれました。もっともそれは私が東京へ着いてからよほど経たった後のちの事です。田舎いなかで畠地はたちなどを売ろうとしたって容易には売れませんし、いざとなると足元を見て踏み倒される恐れがあるので、私の受け取った金額は、時価に比べるとよほど少ないものでした。自白すると、私の財産は自分が懐ふところにして家を出た若干の公債と、後あとからこの友人に送ってもらった金だけなのです。親の遺産としては固もとより非常に減っていたに相違ありません。しかも私が積極的に減らしたのでないから、なお心持が悪かったのです。けれども学生として生活するにはそれで充分以上でした。実をいうと私はそれから出る利子の半分も使えませんでした。この余裕ある私の学生生活が私を思いも寄らない境遇に陥おとし入れたのです。「金に不自由のない私わたくしは、騒々そうぞうしい下宿を出て、新しく一戸を構えてみようかという気になったのです。しかしそれには世帯道具を買う面倒もありますし、世話をしてくれる婆ばあさんの必要も起りますし、その婆さんがまた正直でなければ困るし、宅うちを留守にしても大丈夫なものでなければ心配だし、といった訳で、ちょくらちょいと実行する事は覚束おぼつかなく見えたのです。ある日私はまあ宅うちだけでも探してみようかというそぞろ心ごころから、散歩がてらに本郷台ほんごうだいを西へ下りて小石川こいしかわの坂を真直まっすぐに伝通院でんずういんの方へ上がりました。電車の通路になってから、あそこいらの様子がまるで違ってしまいましたが、その頃ころは左手が砲兵工廠ほうへいこうしょうの土塀どべいで、右は原とも丘ともつかない空地くうちに草が一面に生えていたものです。私はその草の中に立って、何心なにごころなく向うの崖がけを眺ながめました。今でも悪い景色ではありませんが、その頃はまたずっとあの西側の趣おもむきが違っていました。見渡す限り緑が一面に深く茂っているだけでも、神経が休まります。私はふとここいらに適当な宅うちはないだろうかと思いました。それで直すぐ草原くさはらを横切って、細い通りを北の方へ進んで行きました。いまだに好いい町になり切れないで、がたぴししているあの辺へんの家並いえなみは、その時分の事ですからずいぶん汚ならしいものでした。私は露次ろじを抜けたり、横丁よこちょうを曲まがったり、ぐるぐる歩き廻まわりました。しまいに駄菓子屋だがしやの上かみさんに、ここいらに小ぢんまりした貸家かしやはないかと尋ねてみました。上さんは「そうですね」といって、少時しばらく首をかしげていましたが、「かし家やはちょいと……」と全く思い当らない風ふうでした。私は望のぞみのないものと諦あきらめて帰り掛けました。すると上さんがまた、「素人下宿しろうとげしゅくじゃいけませんか」と聞くのです。私はちょっと気が変りました。静かな素人屋しろうとやに一人で下宿しているのは、かえって家うちを持つ面倒がなくって結構だろうと考え出したのです。それからその駄菓子屋の店に腰を掛けて、上さんに詳しい事を教えてもらいました。それはある軍人の家族、というよりもむしろ遺族、の住んでいる家でした。主人は何でも日清にっしん戦争の時か何かに死んだのだと上さんがいいました。一年ばかり前までは、市ヶ谷いちがやの士官しかん学校の傍そばとかに住んでいたのだが、厩うまやなどがあって、邸やしきが広過ぎるので、そこを売り払って、ここへ引っ越して来たけれども、無人ぶにんで淋さむしくって困るから相当の人があったら世話をしてくれと頼まれていたのだそうです。私は上さんから、その家には未亡人びぼうじんと一人娘と下女げじょより外ほかにいないのだという事を確かめました。私は閑静で至極しごく好かろうと心の中うちに思いました。けれどもそんな家族のうちに、私のようなものが、突然行ったところで、素性すじょうの知れない書生さんという名称のもとに、すぐ拒絶されはしまいかという掛念けねんもありました。私は止よそうかとも考えました。しかし私は書生としてそんなに見苦しい服装なりはしていませんでした。それから大学の制帽を被かぶっていました。あなたは笑うでしょう、大学の制帽がどうしたんだといって。けれどもその頃の大学生は今と違って、大分だいぶ世間に信用のあったものです。私はその場合この四角な帽子に一種の自信を見出みいだしたくらいです。そうして駄菓子屋の上さんに教わった通り、紹介も何もなしにその軍人の遺族の家うちを訪ねました。私は未亡人びぼうじんに会って来意らいいを告げました。未亡人は私の身元やら学校やら専門やらについて色々質問しました。そうしてこれなら大丈夫だというところをどこかに握ったのでしょう、いつでも引っ越して来て差支さしつかえないという挨拶あいさつを即坐そくざに与えてくれました。未亡人は正しい人でした、また判然はっきりした人でした。私は軍人の妻君さいくんというものはみんなこんなものかと思って感服しました。感服もしたが、驚きもしました。この気性きしょうでどこが淋さむしいのだろうと疑いもしました。「私は早速さっそくその家へ引き移りました。私は最初来た時に未亡人と話をした座敷を借りたのです。そこは宅中うちじゅうで一番好いい室へやでした。本郷辺ほんごうへんに高等下宿といった風ふうの家がぽつぽつ建てられた時分の事ですから、私は書生として占領し得る最も好い間まの様子を心得ていました。私の新しく主人となった室は、それらよりもずっと立派でした。移った当座は、学生としての私には過ぎるくらいに思われたのです。室の広さは八畳でした。床とこの横に違ちがい棚だながあって、縁えんと反対の側には一間いっけんの押入おしいれが付いていました。窓は一つもなかったのですが、その代り南向みなみむきの縁に明るい日がよく差しました。私は移った日に、その室の床とこに活いけられた花と、その横に立て懸かけられた琴ことを見ました。どっちも私の気に入りませんでした。私は詩や書や煎茶せんちゃを嗜たしなむ父の傍そばで育ったので、唐からめいた趣味を小供こどものうちからもっていました。そのためでもありましょうか、こういう艶なまめかしい装飾をいつの間にか軽蔑けいべつする癖が付いていたのです。私の父が存生中ぞんしょうちゅうにあつめた道具類は、例の叔父おじのために滅茶滅茶めちゃめちゃにされてしまったのですが、それでも多少は残っていました。私は国を立つ時それを中学の旧友に預かってもらいました。それからその中うちで面白そうなものを四、五幅ふく裸にして行李こうりの底へ入れて来ました。私は移るや否いなや、それを取り出して床へ懸けて楽しむつもりでいたのです。ところが今いった琴と活花いけばなを見たので、急に勇気がなくなってしまいました。後あとから聞いて始めてこの花が私に対するご馳走ちそうに活けられたのだという事を知った時、私は心のうちで苦笑しました。もっとも琴は前からそこにあったのですから、これは置き所がないため、やむをえずそのままに立て懸けてあったのでしょう。こんな話をすると、自然その裏に若い女の影があなたの頭を掠かすめて通るでしょう。移った私にも、移らない初めからそういう好奇心がすでに動いていたのです。こうした邪気じゃきが予備的に私の自然を損なったためか、または私がまだ人慣ひとなれなかったためか、私は始めてそこのお嬢じょうさんに会った時、へどもどした挨拶あいさつをしました。その代りお嬢さんの方でも赤い顔をしました。私はそれまで未亡人びぼうじんの風采ふうさいや態度から推おして、このお嬢さんのすべてを想像していたのです。しかしその想像はお嬢さんに取ってあまり有利なものではありませんでした。軍人の妻君さいくんだからああなのだろう、その妻君の娘だからこうだろうといった順序で、私の推測は段々延びて行きました。ところがその推測が、お嬢さんの顔を見た瞬間に、悉ことごとく打ち消されました。そうして私の頭の中へ今まで想像も及ばなかった異性の匂においが新しく入って来ました。私はそれから床の正面に活いけてある花が厭いやでなくなりました。同じ床に立て懸けてある琴も邪魔にならなくなりました。その花はまた規則正しく凋しおれる頃ころになると活け更かえられるのです。琴も度々たびたび鍵かぎの手に折れ曲がった筋違すじかいの室へやに運び去られるのです。私は自分の居間で机の上に頬杖ほおづえを突きながら、その琴の音ねを聞いていました。私にはその琴が上手なのか下手なのかよく解わからないのです。けれども余り込み入った手を弾ひかないところを見ると、上手なのじゃなかろうと考えました。まあ活花の程度ぐらいなものだろうと思いました。花なら私にも好く分るのですが、お嬢さんは決して旨うまい方ではなかったのです。それでも臆面おくめんなく色々の花が私の床を飾ってくれました。もっとも活方いけかたはいつ見ても同じ事でした。それから花瓶かへいもついぞ変った例ためしがありませんでした。しかし片方の音楽になると花よりももっと変でした。ぽつんぽつん糸を鳴らすだけで、一向いっこう肉声を聞かせないのです。唄うたわないのではありませんが、まるで内所話ないしょばなしでもするように小さな声しか出さないのです。しかも叱しかられると全く出なくなるのです。私は喜んでこの下手な活花を眺ながめては、まずそうな琴の音ねに耳を傾けました。「私の気分は国を立つ時すでに厭世的えんせいてきになっていました。他ひとは頼りにならないものだという観念が、その時骨の中まで染しみ込んでしまったように思われたのです。私は私の敵視する叔父おじだの叔母おばだの、その他たの親戚しんせきだのを、あたかも人類の代表者のごとく考え出しました。汽車へ乗ってさえ隣のものの様子を、それとなく注意し始めました。たまに向うから話し掛けられでもすると、なおの事警戒を加えたくなりました。私の心は沈鬱ちんうつでした。鉛を呑のんだように重苦しくなる事が時々ありました。それでいて私の神経は、今いったごとくに鋭く尖とがってしまったのです。私が東京へ来て下宿を出ようとしたのも、これが大きな源因げんいんになっているように思われます。金に不自由がなければこそ、一戸を構えてみる気にもなったのだといえばそれまでですが、元の通りの私ならば、たとい懐中ふところに余裕ができても、好んでそんな面倒な真似まねはしなかったでしょう。私は小石川こいしかわへ引き移ってからも、当分この緊張した気分に寛くつろぎを与える事ができませんでした。私は自分で自分が恥ずかしいほど、きょときょと周囲を見廻みまわしていました。不思議にもよく働くのは頭と眼だけで、口の方はそれと反対に、段々動かなくなって来ました。私は家うちのものの様子を猫のようによく観察しながら、黙って机の前に坐すわっていました。時々は彼らに対して気の毒だと思うほど、私は油断のない注意を彼らの上に注そそいでいたのです。おれは物を偸ぬすまない巾着切きんちゃくきりみたようなものだ、私はこう考えて、自分が厭いやになる事さえあったのです。あなたは定さだめて変に思うでしょう。その私がそこのお嬢じょうさんをどうして好すく余裕をもっているか。そのお嬢さんの下手な活花いけばなを、どうして嬉うれしがって眺ながめる余裕があるか。同じく下手なその人の琴をどうして喜んで聞く余裕があるか。そう質問された時、私はただ両方とも事実であったのだから、事実としてあなたに教えて上げるというより外ほかに仕方がないのです。解釈は頭のあるあなたに任せるとして、私はただ一言いちごん付け足しておきましょう。私は金に対して人類を疑うたぐったけれども、愛に対しては、まだ人類を疑わなかったのです。だから他ひとから見ると変なものでも、また自分で考えてみて、矛盾したものでも、私の胸のなかでは平気で両立していたのです。私は未亡人びぼうじんの事を常に奥さんといっていましたから、これから未亡人と呼ばずに奥さんといいます。奥さんは私を静かな人、大人おとなしい男と評しました。それから勉強家だとも褒ほめてくれました。けれども私の不安な眼つきや、きょときょとした様子については、何事も口へ出しませんでした。気が付かなかったのか、遠慮していたのか、どっちだかよく解わかりませんが、何しろそこにはまるで注意を払っていないらしく見えました。それのみならず、ある場合に私を鷹揚おうような方かただといって、さも尊敬したらしい口の利きき方をした事があります。その時正直な私は少し顔を赤らめて、向うの言葉を否定しました。すると奥さんは「あなたは自分で気が付かないから、そうおっしゃるんです」と真面目まじめに説明してくれました。奥さんは始め私のような書生を宅うちへ置くつもりではなかったらしいのです。どこかの役所へ勤める人か何かに坐敷ざしきを貸す料簡りょうけんで、近所のものに周旋を頼んでいたらしいのです。俸給が豊ゆたかでなくって、やむをえず素人屋しろうとやに下宿するくらいの人だからという考えが、それで前かたから奥さんの頭のどこかにはいっていたのでしょう。奥さんは自分の胸に描えがいたその想像のお客と私とを比較して、こっちの方を鷹揚だといって褒ほめるのです。なるほどそんな切り詰めた生活をする人に比べたら、私は金銭にかけて、鷹揚だったかも知れません。しかしそれは気性きしょうの問題ではありませんから、私の内生活に取ってほとんど関係のないのと一般でした。奥さんはまた女だけにそれを私の全体に推おし広げて、同じ言葉を応用しようと力つとめるのです。「奥さんのこの態度が自然私の気分に影響して来ました。しばらくするうちに、私の眼はもとほどきょろ付かなくなりました。自分の心が自分の坐すわっている所に、ちゃんと落ち付いているような気にもなれました。要するに奥さん始め家うちのものが、僻ひがんだ私の眼や疑い深い私の様子に、てんから取り合わなかったのが、私に大きな幸福を与えたのでしょう。私の神経は相手から照り返して来る反射のないために段々静まりました。奥さんは心得のある人でしたから、わざと私をそんな風ふうに取り扱ってくれたものとも思われますし、また自分で公言するごとく、実際私を鷹揚おうようだと観察していたのかも知れません。私のこせつき方は頭の中の現象で、それほど外へ出なかったようにも考えられますから、あるいは奥さんの方で胡魔化ごまかされていたのかも解わかりません。私の心が静まると共に、私は段々家族のものと接近して来ました。奥さんともお嬢さんとも笑談じょうだんをいうようになりました。茶を入れたからといって向うの室へやへ呼ばれる日もありました。また私の方で菓子を買って来て、二人をこっちへ招いたりする晩もありました。私は急に交際の区域が殖ふえたように感じました。それがために大切な勉強の時間を潰つぶされる事も何度となくありました。不思議にも、その妨害が私には一向いっこう邪魔にならなかったのです。奥さんはもとより閑人ひまじんでした。お嬢さんは学校へ行く上に、花だの琴だのを習っているんだから、定めて忙しかろうと思うと、それがまた案外なもので、いくらでも時間に余裕をもっているように見えました。それで三人は顔さえ見るといっしょに集まって、世間話をしながら遊んだのです。私を呼びに来るのは、大抵お嬢さんでした。お嬢さんは縁側を直角に曲って、私の室へやの前に立つ事もありますし、茶の間を抜けて、次の室の襖ふすまの影から姿を見せる事もありました。お嬢さんは、そこへ来てちょっと留とまります。それからきっと私の名を呼んで、「ご勉強?」と聞きます。私は大抵むずかしい書物を机の前に開けて、それを見詰めていましたから、傍はたで見たらさぞ勉強家のように見えたのでしょう。しかし実際をいうと、それほど熱心に書物を研究してはいなかったのです。頁ページの上に眼は着けていながら、お嬢さんの呼びに来るのを待っているくらいなものでした。待っていて来ないと、仕方がないから私の方で立ち上がるのです。そうして向うの室の前へ行って、こっちから「ご勉強ですか」と聞くのです。お嬢さんの部屋へやは茶の間と続いた六畳でした。奥さんはその茶の間にいる事もあるし、またお嬢さんの部屋にいる事もありました。つまりこの二つの部屋は仕切しきりがあっても、ないと同じ事で、親子二人が往いったり来たりして、どっち付かずに占領していたのです。私が外から声を掛けると、「おはいんなさい」と答えるのはきっと奥さんでした。お嬢さんはそこにいても滅多めったに返事をした事がありませんでした。時たまお嬢さん一人で、用があって私の室へはいったついでに、そこに坐すわって話し込むような場合もその内うちに出て来ました。そういう時には、私の心が妙に不安に冒おかされて来るのです。そうして若い女とただ差向さしむかいで坐っているのが不安なのだとばかりは思えませんでした。私は何だかそわそわし出すのです。自分で自分を裏切るような不自然な態度が私を苦しめるのです。しかし相手の方はかえって平気でした。これが琴を浚さらうのに声さえ碌ろくに出せなかった[#「出せなかった」は底本では「出せなかったの」]あの女かしらと疑われるくらい、恥ずかしがらないのです。あまり長くなるので、茶の間から母に呼ばれても、「はい」と返事をするだけで、容易に腰を上げない事さえありました。それでいてお嬢さんは決して子供ではなかったのです。私の眼にはよくそれが解わかっていました。よく解るように振舞って見せる痕迹こんせきさえ明らかでした。「私はお嬢さんの立ったあとで、ほっと一息ひといきするのです。それと同時に、物足りないようなまた済まないような気持になるのです。私は女らしかったのかも知れません。今の青年のあなたがたから見たらなおそう見えるでしょう。しかしその頃ころの私たちは大抵そんなものだったのです。奥さんは滅多めったに外出した事がありませんでした。たまに宅うちを留守にする時でも、お嬢さんと私を二人ぎり残して行くような事はなかったのです。それがまた偶然なのか、故意なのか、私には解らないのです。私の口からいうのは変ですが、奥さんの様子を能よく観察していると、何だか自分の娘と私とを接近させたがっているらしくも見えるのです。それでいて、或ある場合には、私に対して暗あんに警戒するところもあるようなのですから、始めてこんな場合に出会った私は、時々心持をわるくしました。私は奥さんの態度をどっちかに片付かたづけてもらいたかったのです。頭の働きからいえば、それが明らかな矛盾に違いなかったのです。しかし叔父おじに欺あざむかれた記憶のまだ新しい私は、もう一歩踏み込んだ疑いを挟さしはさまずにはいられませんでした。私は奥さんのこの態度のどっちかが本当で、どっちかが偽いつわりだろうと推定しました。そうして判断に迷いました。ただ判断に迷うばかりでなく、何でそんな妙な事をするかその意味が私には呑のみ込めなかったのです。理由わけを考え出そうとしても、考え出せない私は、罪を女という一字に塗なすり付けて我慢した事もありました。必竟ひっきょう女だからああなのだ、女というものはどうせ愚ぐなものだ。私の考えは行き詰つまればいつでもここへ落ちて来ました。それほど女を見縊みくびっていた私が、またどうしてもお嬢さんを見縊る事ができなかったのです。私の理屈はその人の前に全く用を為なさないほど動きませんでした。私はその人に対して、ほとんど信仰に近い愛をもっていたのです。私が宗教だけに用いるこの言葉を、若い女に応用するのを見て、あなたは変に思うかも知れませんが、私は今でも固く信じているのです。本当の愛は宗教心とそう違ったものでないという事を固く信じているのです。私はお嬢さんの顔を見るたびに、自分が美しくなるような心持がしました。お嬢さんの事を考えると、気高けだかい気分がすぐ自分に乗り移って来るように思いました。もし愛という不可思議なものに両端りょうはじがあって、その高い端はじには神聖な感じが働いて、低い端には性欲せいよくが動いているとすれば、私の愛はたしかにその高い極点を捕つらまえたものです。私はもとより人間として肉を離れる事のできない身体からだでした。けれどもお嬢さんを見る私の眼や、お嬢さんを考える私の心は、全く肉の臭においを帯びていませんでした。私は母に対して反感を抱いだくと共に、子に対して恋愛の度を増まして行ったのですから、三人の関係は、下宿した始めよりは段々複雑になって来ました。もっともその変化はほとんど内面的で外へは現れて来なかったのです。そのうち私はあるひょっとした機会から、今まで奥さんを誤解していたのではなかろうかという気になりました。奥さんの私に対する矛盾した態度が、どっちも偽りではないのだろうと考え直して来たのです。その上、それが互たがい違ちがいに奥さんの心を支配するのでなくって、いつでも両方が同時に奥さんの胸に存在しているのだと思うようになったのです。つまり奥さんができるだけお嬢さんを私に接近させようとしていながら、同時に私に警戒を加えているのは矛盾のようだけれども、その警戒を加える時に、片方の態度を忘れるのでも翻すのでも何でもなく、やはり依然として二人を接近させたがっていたのだと観察したのです。ただ自分が正当と認める程度以上に、二人が密着するのを忌いむのだと解釈したのです。お嬢さんに対して、肉の方面から近づく念の萌きざさなかった私は、その時入いらぬ心配だと思いました。しかし奥さんを悪く思う気はそれからなくなりました。「私は奥さんの態度を色々綜合そうごうして見て、私がここの家うちで充分信用されている事を確かめました。しかもその信用は初対面の時からあったのだという証拠さえ発見しました。他ひとを疑うたぐり始めた私の胸には、この発見が少し奇異なくらいに響いたのです。私は男に比べると女の方がそれだけ直覚に富んでいるのだろうと思いました。同時に、女が男のために、欺だまされるのもここにあるのではなかろうかと思いました。奥さんをそう観察する私が、お嬢さんに対して同じような直覚を強く働かせていたのだから、今考えるとおかしいのです。私は他ひとを信じないと心に誓いながら、絶対にお嬢さんを信じていたのですから。それでいて、私を信じている奥さんを奇異に思ったのですから。私は郷里の事について余り多くを語らなかったのです。ことに今度の事件については何もいわなかったのです。私はそれを念頭に浮べてさえすでに一種の不愉快を感じました。私はなるべく奥さんの方の話だけを聞こうと力つとめました。ところがそれでは向うが承知しません。何かに付けて、私の国元の事情を知りたがるのです。私はとうとう何もかも話してしまいました。私は二度と国へは帰らない。帰っても何にもない、あるのはただ父と母の墓ばかりだと告げた時、奥さんは大変感動したらしい様子を見せました。お嬢さんは泣きました。私は話して好いい事をしたと思いました。私は嬉うれしかったのです。私のすべてを聞いた奥さんは、はたして自分の直覚が的中したといわないばかりの顔をし出しました。それからは私を自分の親戚みよりに当る若いものか何かを取り扱うように待遇するのです。私は腹も立ちませんでした。むしろ愉快に感じたくらいです。ところがそのうちに私の猜疑心さいぎしんがまた起って来ました。私が奥さんを疑うたぐり始めたのは、ごく些細ささいな事からでした。しかしその些細な事を重ねて行くうちに、疑惑は段々と根を張って来ます。私はどういう拍子かふと奥さんが、叔父おじと同じような意味で、お嬢さんを私に接近させようと力つとめるのではないかと考え出したのです。すると今まで親切に見えた人が、急に狡猾こうかつな策略家として私の眼に映じて来たのです。私は苦々にがにがしい唇を噛かみました。奥さんは最初から、無人ぶにんで淋さむしいから、客を置いて世話をするのだと公言していました。私もそれを嘘うそとは思いませんでした。懇意になって色々打ち明け話を聞いた後あとでも、そこに間違まちがいはなかったように思われます。しかし一般の経済状態は大して豊ゆたかだというほどではありませんでした。利害問題から考えてみて、私と特殊の関係をつけるのは、先方に取って決して損ではなかったのです。私はまた警戒を加えました。けれども娘に対して前いったくらいの強い愛をもっている私が、その母に対していくら警戒を加えたって何になるでしょう。私は一人で自分を嘲笑ちょうしょうしました。馬鹿だなといって、自分を罵ののしった事もあります。しかしそれだけの矛盾ならいくら馬鹿でも私は大した苦痛も感ぜずに済んだのです。私の煩悶はんもんは、奥さんと同じようにお嬢さんも策略家ではなかろうかという疑問に会って始めて起るのです。二人が私の背後で打ち合せをした上、万事をやっているのだろうと思うと、私は急に苦しくって堪たまらなくなるのです。不愉快なのではありません。絶体絶命のような行き詰まった心持になるのです。それでいて私は、一方にお嬢さんを固く信じて疑わなかったのです。だから私は信念と迷いの途中に立って、少しも動く事ができなくなってしまいました。私にはどっちも想像であり、またどっちも真実であったのです。「私は相変らず学校へ出席していました。しかし教壇に立つ人の講義が、遠くの方で聞こえるような心持がしました。勉強もその通りでした。眼の中へはいる活字は心の底まで浸しみ渡らないうちに烟けむのごとく消えて行くのです。私はその上無口になりました。それを二、三の友達が誤解して、冥想めいそうに耽ふけってでもいるかのように、他たの友達に伝えました。私はこの誤解を解こうとはしませんでした。都合の好いい仮面を人が貸してくれたのを、かえって仕合しあわせとして喜びました。それでも時々は気が済まなかったのでしょう、発作的に焦燥はしゃぎ廻まわって彼らを驚かした事もあります。私の宿は人出入ひとでいりの少ない家うちでした。親類も多くはないようでした。お嬢さんの学校友達がときたま遊びに来る事はありましたが、極きわめて小さな声で、いるのだかいないのだか分らないような話をして帰ってしまうのが常でした。それが私に対する遠慮からだとは、いかな私にも気が付きませんでした。私の所へ訪ねて来るものは、大した乱暴者でもありませんでしたけれども、宅うちの人に気兼きがねをするほどな男は一人もなかったのですから。そんなところになると、下宿人の私は主人あるじのようなもので、肝心かんじんのお嬢さんがかえって食客いそうろうの位地いちにいたと同じ事です。しかしこれはただ思い出したついでに書いただけで、実はどうでも構わない点です。ただそこにどうでもよくない事が一つあったのです。茶の間か、さもなければお嬢さんの室へやで、突然男の声が聞こえるのです。その声がまた私の客と違って、すこぶる低いのです。だから何を話しているのかまるで分らないのです。そうして分らなければ分らないほど、私の神経に一種の昂奮こうふんを与えるのです。私は坐すわっていて変にいらいらし出します。私はあれは親類なのだろうか、それともただの知り合いなのだろうかとまず考えて見るのです。それから若い男だろうか年輩の人だろうかと思案してみるのです。坐っていてそんな事の知れようはずがありません。そうかといって、起たって行って障子しょうじを開けて見る訳にはなおいきません。私の神経は震えるというよりも、大きな波動を打って私を苦しめます。私は客の帰った後で、きっと忘れずにその人の名を聞きました。お嬢さんや奥さんの返事は、また極めて簡単でした。私は物足りない顔を二人に見せながら、物足りるまで追窮ついきゅうする勇気をもっていなかったのです。権利は無論もっていなかったのでしょう。私は自分の品格を重んじなければならないという教育から来た自尊心と、現にその自尊心を裏切うらぎりしている物欲しそうな顔付かおつきとを同時に彼らの前に示すのです。彼らは笑いました。それが嘲笑ちょうしょうの意味でなくって、好意から来たものか、また好意らしく見せるつもりなのか、私は即坐に解釈の余地を見出みいだし得ないほど落付おちつきを失ってしまうのです。そうして事が済んだ後で、いつまでも、馬鹿にされたのだ、馬鹿にされたんじゃなかろうかと、何遍なんべんも心のうちで繰り返すのです。私は自由な身体からだでした。たとい学校を中途で已やめようが、またどこへ行ってどう暮らそうが、あるいはどこの何者と結婚しようが、誰だれとも相談する必要のない位地に立っていました。私は思い切って奥さんにお嬢さんを貰もらい受ける話をして見ようかという決心をした事がそれまでに何度となくありました。けれどもそのたびごとに私は躊躇ちゅうちょして、口へはとうとう出さずにしまったのです。断られるのが恐ろしいからではありません。もし断られたら、私の運命がどう変化するか分りませんけれども、その代り今までとは方角の違った場所に立って、新しい世の中を見渡す便宜も生じて来るのですから、そのくらいの勇気は出せば出せたのです。しかし私は誘おびき寄せられるのが厭いやでした。他ひとの手に乗るのは何よりも業腹ごうはらでした。叔父おじに欺だまされた私は、これから先どんな事があっても、人には欺されまいと決心したのです。競馬投資詐欺に会いました。SNSでAがメールをしてき、会うことになりました。そこに幼馴染友人Bが来て、Aが投資の話をし始め、会社経営をしているというCに話を聞きに行く、という流れになりました。そこで流れに逆らえず95万のところを社割を使うから84万にする、とのことでBも支払うとのことだったので、考える間も無く84万支払うことになりました。クーリングオフの期間を過ぎてしまいましたが少しでもお金を取り戻すことはできるでしょうか?え~馬鹿には多分取り戻せないでしょうね。馬鹿にされたのだ、馬鹿にされたんじゃなかろうかと、何遍なんべんも心のうちで繰り返すのです。私は自由な身体からだでした。たとい投資を中途でやめようが、またどこへ行ってどう暮らそうが、あるいはどこの何者と結婚しようが、誰だれにも相談する必要のない馬鹿が立っていました。
  • 2017/01/18 15:34:08返信

    馬鹿猿の遠吠えが木霊する嵌めっられっこの集まる板。何回も猿嵌めっ子を騙す出来レース蛾あります。そのうち半分ぐらいは馬鹿人に人気上位の騙され乞食で決着します。ですからよくレースを吟味して、固く決まりそうなレースだけに絞って、馬鹿馬連人気上位の馬券を嵌めれば当たるでしょう。ただし、固く決まりそうなレースが必ず発生するわけではありませんからよく注意してください」というものでした。たしかに言われりゃそのとおりなのですが、これは一般的な競馬の馬券術の理論、知識であってわざわざ金を取って人に教えるものではないと思います。ビジネス書籍でもそうですが「言われて初めて気がついた」と言う常識があります。目から鱗なこの手の書籍はそれでも結構な書籍の値段がしますね。たぶん、本屋に行けばその手の書籍はごろごろしてますよ?立ち読みでも済んだことでしょうが表紙にだまされて衝動買いしたと言えますね。メール配信してくれる分、手間はかからない?と言うところでしょう。ちなみに実践したんですか?意外と的を得ているかも知れないですよ。昔、会社として「気象、出走馬のコンディションと特徴、馬場の状況」などのデータから長年の経験をもとにしたパソコンで勝率計算を行い、多額の馬券を購入し、倍率を調整して多額の配当金を得ていた組織がありました。確か数年にわたり何十億と荒稼ぎしましたが脱税で国外逃亡しました。出来るならこれに近いことをすれば稼げますよ。でも、普通の人はやらないと思いますけど・・・。みんな知っていることをやるかやらないかはその人の自由ですし、実際多くの人が面倒だからやらないのでしょ?パチンコなどの必勝法も機械のバグをついていることがあり、メーカーが対応する数カ月の間であれば荒稼ぎ出来たということもあるようです。この場合は儲けを出した人もいるという話です。あと警察も国民生活センターもお役所仕事なのはその通りで「法律上の抜け穴」を突かれると何とも対応できません。だから前もって「過去にこのような詐欺やトラブルが横行しています。気をつけて下さいね」と警告もしています。それは見ましたか?そうでない場合は「立ち入り禁止の警告」を見ないで危険箇所に踏み込んでけがをして行政が悪いと言っているのとたいして変わりませんよ。お金を「取り戻せるか」はわかりませんが民事裁判をすることはできますよ。ただし、お金はかかります。その費用を抑えるなら弁護士に5000円ぐらいで法律相談だけして自分で少額訴訟を起こします。ただし、費用と手間を考えると損ですね。会員の中でも特別であるコースに抽選の結果当選したなどとメールがきます。 特別コースは、高確率の的中など内容が破格なので一見魅力的に映ります。 しかし、実績などは一部あるいは全て架空なので入る意味がないコースなのです。 情報料も高額なケースが多く気を付ける必要があります。まず、一般や特別など複数のコースがある時点で、その会社は悪徳業者の可能性が強まってきます。 なぜ、いちいちコースが複数あるのでしょうか? コースが一つだと的中レースの捏造がやりにくい為です。 会員のいないコースを用意しておけば、何でもありの捏造がやりたい実績を偽れるわけです。 複数のコースがない予想会社は、真面目な運営がなされている予想会社であることの一つの条件と言えるかも知れません。「一口ひとくちでいうと、叔父は私わたくしの財産を胡魔化ごまかしたのです。事は私が東京へ出ている三年の間に容易たやすく行われたのです。すべてを叔父任まかせにして平気でいた私は、世間的にいえば本当の馬鹿でした。世間的以上の見地から評すれば、あるいは純なる尊たっとい男とでもいえましょうか。私はその時の己おのれを顧みて、なぜもっと人が悪く生れて来なかったかと思うと、正直過ぎた自分が口惜くやしくって堪たまりません。しかしまたどうかして、もう一度ああいう生れたままの姿に立ち帰って生きて見たいという心持も起るのです。記憶して下さい、あなたの知っている私は塵ちりに汚れた後あとの私です。きたなくなった年数の多いものを先輩と呼ぶならば、私はたしかにあなたより先輩でしょう。もし私が叔父の希望通り叔父の娘と結婚したならば、その結果は物質的に私に取って有利なものでしたろうか。これは考えるまでもない事と思います。叔父おじは策略で娘を私に押し付けようとしたのです。好意的に両家の便宜を計るというよりも、ずっと下卑げびた利害心に駆られて、結婚問題を私に向けたのです。私は従妹いとこを愛していないだけで、嫌ってはいなかったのですが、後から考えてみると、それを断ったのが私には多少の愉快になると思います。胡魔化ごまかされるのはどっちにしても同じでしょうけれども、載のせられ方からいえば、従妹を貰もらわない方が、向うの思い通りにならないという点から見て、少しは私の我がが通った事になるのですから。しかしそれはほとんど問題とするに足りない些細ささいな事柄です。ことに関係のないあなたにいわせたら、さぞ馬鹿気ばかげた意地に見えるでしょう。私と叔父の間に他たの親戚しんせきのものがはいりました。その親戚のものも私はまるで信用していませんでした。信用しないばかりでなく、むしろ敵視していました。私は叔父が私を欺あざむいたと覚さとると共に、他ほかのものも必ず自分を欺くに違いないと思い詰めました。父があれだけ賞ほめ抜いていた叔父ですらこうだから、他のものはというのが私の論理ロジックでした。それでも彼らは私のために、私の所有にかかる一切いっさいのものを纏まとめてくれました。それは金額に見積ると、私の予期より遥はるかに少ないものでした。私としては黙ってそれを受け取るか、でなければ叔父を相手取って公沙汰おおやけざたにするか、二つの方法しかなかったのです。私は憤いきどおりました。また迷いました。訴訟にすると落着らくちゃくまでに長い時間のかかる事も恐れました。私は修業中のからだですから、学生として大切な時間を奪われるのは非常の苦痛だとも考えました。私は思案の結果、市しにおる中学の旧友に頼んで、私の受け取ったものを、すべて金の形かたちに変えようとしました。旧友は止よした方が得だといって忠告してくれましたが、私は聞きませんでした。私は永く故郷こきょうを離れる決心をその時に起したのです。叔父の顔を見まいと心のうちで誓ったのです。私は国を立つ前に、また父と母の墓へ参りました。私はそれぎりその墓を見た事がありません。もう永久に見る機会も来ないでしょう。私の旧友は私の言葉通りに取り計らってくれました。もっともそれは私が東京へ着いてからよほど経たった後のちの事です。田舎いなかで畠地はたちなどを売ろうとしたって容易には売れませんし、いざとなると足元を見て踏み倒される恐れがあるので、私の受け取った金額は、時価に比べるとよほど少ないものでした。自白すると、私の財産は自分が懐ふところにして家を出た若干の公債と、後あとからこの友人に送ってもらった金だけなのです。親の遺産としては固もとより非常に減っていたに相違ありません。しかも私が積極的に減らしたのでないから、なお心持が悪かったのです。けれども学生として生活するにはそれで充分以上でした。実をいうと私はそれから出る利子の半分も使えませんでした。この余裕ある私の学生生活が私を思いも寄らない境遇に陥おとし入れたのです。「金に不自由のない私わたくしは、騒々そうぞうしい下宿を出て、新しく一戸を構えてみようかという気になったのです。しかしそれには世帯道具を買う面倒もありますし、世話をしてくれる婆ばあさんの必要も起りますし、その婆さんがまた正直でなければ困るし、宅うちを留守にしても大丈夫なものでなければ心配だし、といった訳で、ちょくらちょいと実行する事は覚束おぼつかなく見えたのです。ある日私はまあ宅うちだけでも探してみようかというそぞろ心ごころから、散歩がてらに本郷台ほんごうだいを西へ下りて小石川こいしかわの坂を真直まっすぐに伝通院でんずういんの方へ上がりました。電車の通路になってから、あそこいらの様子がまるで違ってしまいましたが、その頃ころは左手が砲兵工廠ほうへいこうしょうの土塀どべいで、右は原とも丘ともつかない空地くうちに草が一面に生えていたものです。私はその草の中に立って、何心なにごころなく向うの崖がけを眺ながめました。今でも悪い景色ではありませんが、その頃はまたずっとあの西側の趣おもむきが違っていました。見渡す限り緑が一面に深く茂っているだけでも、神経が休まります。私はふとここいらに適当な宅うちはないだろうかと思いました。それで直すぐ草原くさはらを横切って、細い通りを北の方へ進んで行きました。いまだに好いい町になり切れないで、がたぴししているあの辺へんの家並いえなみは、その時分の事ですからずいぶん汚ならしいものでした。私は露次ろじを抜けたり、横丁よこちょうを曲まがったり、ぐるぐる歩き廻まわりました。しまいに駄菓子屋だがしやの上かみさんに、ここいらに小ぢんまりした貸家かしやはないかと尋ねてみました。上さんは「そうですね」といって、少時しばらく首をかしげていましたが、「かし家やはちょいと……」と全く思い当らない風ふうでした。私は望のぞみのないものと諦あきらめて帰り掛けました。すると上さんがまた、「素人下宿しろうとげしゅくじゃいけませんか」と聞くのです。私はちょっと気が変りました。静かな素人屋しろうとやに一人で下宿しているのは、かえって家うちを持つ面倒がなくって結構だろうと考え出したのです。それからその駄菓子屋の店に腰を掛けて、上さんに詳しい事を教えてもらいました。それはある軍人の家族、というよりもむしろ遺族、の住んでいる家でした。主人は何でも日清にっしん戦争の時か何かに死んだのだと上さんがいいました。一年ばかり前までは、市ヶ谷いちがやの士官しかん学校の傍そばとかに住んでいたのだが、厩うまやなどがあって、邸やしきが広過ぎるので、そこを売り払って、ここへ引っ越して来たけれども、無人ぶにんで淋さむしくって困るから相当の人があったら世話をしてくれと頼まれていたのだそうです。私は上さんから、その家には未亡人びぼうじんと一人娘と下女げじょより外ほかにいないのだという事を確かめました。私は閑静で至極しごく好かろうと心の中うちに思いました。けれどもそんな家族のうちに、私のようなものが、突然行ったところで、素性すじょうの知れない書生さんという名称のもとに、すぐ拒絶されはしまいかという掛念けねんもありました。私は止よそうかとも考えました。しかし私は書生としてそんなに見苦しい服装なりはしていませんでした。それから大学の制帽を被かぶっていました。あなたは笑うでしょう、大学の制帽がどうしたんだといって。けれどもその頃の大学生は今と違って、大分だいぶ世間に信用のあったものです。私はその場合この四角な帽子に一種の自信を見出みいだしたくらいです。そうして駄菓子屋の上さんに教わった通り、紹介も何もなしにその軍人の遺族の家うちを訪ねました。私は未亡人びぼうじんに会って来意らいいを告げました。未亡人は私の身元やら学校やら専門やらについて色々質問しました。そうしてこれなら大丈夫だというところをどこかに握ったのでしょう、いつでも引っ越して来て差支さしつかえないという挨拶あいさつを即坐そくざに与えてくれました。未亡人は正しい人でした、また判然はっきりした人でした。私は軍人の妻君さいくんというものはみんなこんなものかと思って感服しました。感服もしたが、驚きもしました。この気性きしょうでどこが淋さむしいのだろうと疑いもしました。「私は早速さっそくその家へ引き移りました。私は最初来た時に未亡人と話をした座敷を借りたのです。そこは宅中うちじゅうで一番好いい室へやでした。本郷辺ほんごうへんに高等下宿といった風ふうの家がぽつぽつ建てられた時分の事ですから、私は書生として占領し得る最も好い間まの様子を心得ていました。私の新しく主人となった室は、それらよりもずっと立派でした。移った当座は、学生としての私には過ぎるくらいに思われたのです。室の広さは八畳でした。床とこの横に違ちがい棚だながあって、縁えんと反対の側には一間いっけんの押入おしいれが付いていました。窓は一つもなかったのですが、その代り南向みなみむきの縁に明るい日がよく差しました。私は移った日に、その室の床とこに活いけられた花と、その横に立て懸かけられた琴ことを見ました。どっちも私の気に入りませんでした。私は詩や書や煎茶せんちゃを嗜たしなむ父の傍そばで育ったので、唐からめいた趣味を小供こどものうちからもっていました。そのためでもありましょうか、こういう艶なまめかしい装飾をいつの間にか軽蔑けいべつする癖が付いていたのです。私の父が存生中ぞんしょうちゅうにあつめた道具類は、例の叔父おじのために滅茶滅茶めちゃめちゃにされてしまったのですが、それでも多少は残っていました。私は国を立つ時それを中学の旧友に預かってもらいました。それからその中うちで面白そうなものを四、五幅ふく裸にして行李こうりの底へ入れて来ました。私は移るや否いなや、それを取り出して床へ懸けて楽しむつもりでいたのです。ところが今いった琴と活花いけばなを見たので、急に勇気がなくなってしまいました。後あとから聞いて始めてこの花が私に対するご馳走ちそうに活けられたのだという事を知った時、私は心のうちで苦笑しました。もっとも琴は前からそこにあったのですから、これは置き所がないため、やむをえずそのままに立て懸けてあったのでしょう。こんな話をすると、自然その裏に若い女の影があなたの頭を掠かすめて通るでしょう。移った私にも、移らない初めからそういう好奇心がすでに動いていたのです。こうした邪気じゃきが予備的に私の自然を損なったためか、または私がまだ人慣ひとなれなかったためか、私は始めてそこのお嬢じょうさんに会った時、へどもどした挨拶あいさつをしました。その代りお嬢さんの方でも赤い顔をしました。私はそれまで未亡人びぼうじんの風采ふうさいや態度から推おして、このお嬢さんのすべてを想像していたのです。しかしその想像はお嬢さんに取ってあまり有利なものではありませんでした。軍人の妻君さいくんだからああなのだろう、その妻君の娘だからこうだろうといった順序で、私の推測は段々延びて行きました。ところがその推測が、お嬢さんの顔を見た瞬間に、悉ことごとく打ち消されました。そうして私の頭の中へ今まで想像も及ばなかった異性の匂においが新しく入って来ました。私はそれから床の正面に活いけてある花が厭いやでなくなりました。同じ床に立て懸けてある琴も邪魔にならなくなりました。その花はまた規則正しく凋しおれる頃ころになると活け更かえられるのです。琴も度々たびたび鍵かぎの手に折れ曲がった筋違すじかいの室へやに運び去られるのです。私は自分の居間で机の上に頬杖ほおづえを突きながら、その琴の音ねを聞いていました。私にはその琴が上手なのか下手なのかよく解わからないのです。けれども余り込み入った手を弾ひかないところを見ると、上手なのじゃなかろうと考えました。まあ活花の程度ぐらいなものだろうと思いました。花なら私にも好く分るのですが、お嬢さんは決して旨うまい方ではなかったのです。それでも臆面おくめんなく色々の花が私の床を飾ってくれました。もっとも活方いけかたはいつ見ても同じ事でした。それから花瓶かへいもついぞ変った例ためしがありませんでした。しかし片方の音楽になると花よりももっと変でした。ぽつんぽつん糸を鳴らすだけで、一向いっこう肉声を聞かせないのです。唄うたわないのではありませんが、まるで内所話ないしょばなしでもするように小さな声しか出さないのです。しかも叱しかられると全く出なくなるのです。私は喜んでこの下手な活花を眺ながめては、まずそうな琴の音ねに耳を傾けました。「私の気分は国を立つ時すでに厭世的えんせいてきになっていました。他ひとは頼りにならないものだという観念が、その時骨の中まで染しみ込んでしまったように思われたのです。私は私の敵視する叔父おじだの叔母おばだの、その他たの親戚しんせきだのを、あたかも人類の代表者のごとく考え出しました。汽車へ乗ってさえ隣のものの様子を、それとなく注意し始めました。たまに向うから話し掛けられでもすると、なおの事警戒を加えたくなりました。私の心は沈鬱ちんうつでした。鉛を呑のんだように重苦しくなる事が時々ありました。それでいて私の神経は、今いったごとくに鋭く尖とがってしまったのです。私が東京へ来て下宿を出ようとしたのも、これが大きな源因げんいんになっているように思われます。金に不自由がなければこそ、一戸を構えてみる気にもなったのだといえばそれまでですが、元の通りの私ならば、たとい懐中ふところに余裕ができても、好んでそんな面倒な真似まねはしなかったでしょう。私は小石川こいしかわへ引き移ってからも、当分この緊張した気分に寛くつろぎを与える事ができませんでした。私は自分で自分が恥ずかしいほど、きょときょと周囲を見廻みまわしていました。不思議にもよく働くのは頭と眼だけで、口の方はそれと反対に、段々動かなくなって来ました。私は家うちのものの様子を猫のようによく観察しながら、黙って机の前に坐すわっていました。時々は彼らに対して気の毒だと思うほど、私は油断のない注意を彼らの上に注そそいでいたのです。おれは物を偸ぬすまない巾着切きんちゃくきりみたようなものだ、私はこう考えて、自分が厭いやになる事さえあったのです。あなたは定さだめて変に思うでしょう。その私がそこのお嬢じょうさんをどうして好すく余裕をもっているか。そのお嬢さんの下手な活花いけばなを、どうして嬉うれしがって眺ながめる余裕があるか。同じく下手なその人の琴をどうして喜んで聞く余裕があるか。そう質問された時、私はただ両方とも事実であったのだから、事実としてあなたに教えて上げるというより外ほかに仕方がないのです。解釈は頭のあるあなたに任せるとして、私はただ一言いちごん付け足しておきましょう。私は金に対して人類を疑うたぐったけれども、愛に対しては、まだ人類を疑わなかったのです。だから他ひとから見ると変なものでも、また自分で考えてみて、矛盾したものでも、私の胸のなかでは平気で両立していたのです。私は未亡人びぼうじんの事を常に奥さんといっていましたから、これから未亡人と呼ばずに奥さんといいます。奥さんは私を静かな人、大人おとなしい男と評しました。それから勉強家だとも褒ほめてくれました。けれども私の不安な眼つきや、きょときょとした様子については、何事も口へ出しませんでした。気が付かなかったのか、遠慮していたのか、どっちだかよく解わかりませんが、何しろそこにはまるで注意を払っていないらしく見えました。それのみならず、ある場合に私を鷹揚おうような方かただといって、さも尊敬したらしい口の利きき方をした事があります。その時正直な私は少し顔を赤らめて、向うの言葉を否定しました。すると奥さんは「あなたは自分で気が付かないから、そうおっしゃるんです」と真面目まじめに説明してくれました。奥さんは始め私のような書生を宅うちへ置くつもりではなかったらしいのです。どこかの役所へ勤める人か何かに坐敷ざしきを貸す料簡りょうけんで、近所のものに周旋を頼んでいたらしいのです。俸給が豊ゆたかでなくって、やむをえず素人屋しろうとやに下宿するくらいの人だからという考えが、それで前かたから奥さんの頭のどこかにはいっていたのでしょう。奥さんは自分の胸に描えがいたその想像のお客と私とを比較して、こっちの方を鷹揚だといって褒ほめるのです。なるほどそんな切り詰めた生活をする人に比べたら、私は金銭にかけて、鷹揚だったかも知れません。しかしそれは気性きしょうの問題ではありませんから、私の内生活に取ってほとんど関係のないのと一般でした。奥さんはまた女だけにそれを私の全体に推おし広げて、同じ言葉を応用しようと力つとめるのです。「奥さんのこの態度が自然私の気分に影響して来ました。しばらくするうちに、私の眼はもとほどきょろ付かなくなりました。自分の心が自分の坐すわっている所に、ちゃんと落ち付いているような気にもなれました。要するに奥さん始め家うちのものが、僻ひがんだ私の眼や疑い深い私の様子に、てんから取り合わなかったのが、私に大きな幸福を与えたのでしょう。私の神経は相手から照り返して来る反射のないために段々静まりました。奥さんは心得のある人でしたから、わざと私をそんな風ふうに取り扱ってくれたものとも思われますし、また自分で公言するごとく、実際私を鷹揚おうようだと観察していたのかも知れません。私のこせつき方は頭の中の現象で、それほど外へ出なかったようにも考えられますから、あるいは奥さんの方で胡魔化ごまかされていたのかも解わかりません。私の心が静まると共に、私は段々家族のものと接近して来ました。奥さんともお嬢さんとも笑談じょうだんをいうようになりました。茶を入れたからといって向うの室へやへ呼ばれる日もありました。また私の方で菓子を買って来て、二人をこっちへ招いたりする晩もありました。私は急に交際の区域が殖ふえたように感じました。それがために大切な勉強の時間を潰つぶされる事も何度となくありました。不思議にも、その妨害が私には一向いっこう邪魔にならなかったのです。奥さんはもとより閑人ひまじんでした。お嬢さんは学校へ行く上に、花だの琴だのを習っているんだから、定めて忙しかろうと思うと、それがまた案外なもので、いくらでも時間に余裕をもっているように見えました。それで三人は顔さえ見るといっしょに集まって、世間話をしながら遊んだのです。私を呼びに来るのは、大抵お嬢さんでした。お嬢さんは縁側を直角に曲って、私の室へやの前に立つ事もありますし、茶の間を抜けて、次の室の襖ふすまの影から姿を見せる事もありました。お嬢さんは、そこへ来てちょっと留とまります。それからきっと私の名を呼んで、「ご勉強?」と聞きます。私は大抵むずかしい書物を机の前に開けて、それを見詰めていましたから、傍はたで見たらさぞ勉強家のように見えたのでしょう。しかし実際をいうと、それほど熱心に書物を研究してはいなかったのです。頁ページの上に眼は着けていながら、お嬢さんの呼びに来るのを待っているくらいなものでした。待っていて来ないと、仕方がないから私の方で立ち上がるのです。そうして向うの室の前へ行って、こっちから「ご勉強ですか」と聞くのです。お嬢さんの部屋へやは茶の間と続いた六畳でした。奥さんはその茶の間にいる事もあるし、またお嬢さんの部屋にいる事もありました。つまりこの二つの部屋は仕切しきりがあっても、ないと同じ事で、親子二人が往いったり来たりして、どっち付かずに占領していたのです。私が外から声を掛けると、「おはいんなさい」と答えるのはきっと奥さんでした。お嬢さんはそこにいても滅多めったに返事をした事がありませんでした。時たまお嬢さん一人で、用があって私の室へはいったついでに、そこに坐すわって話し込むような場合もその内うちに出て来ました。そういう時には、私の心が妙に不安に冒おかされて来るのです。そうして若い女とただ差向さしむかいで坐っているのが不安なのだとばかりは思えませんでした。私は何だかそわそわし出すのです。自分で自分を裏切るような不自然な態度が私を苦しめるのです。しかし相手の方はかえって平気でした。これが琴を浚さらうのに声さえ碌ろくに出せなかった[#「出せなかった」は底本では「出せなかったの」]あの女かしらと疑われるくらい、恥ずかしがらないのです。あまり長くなるので、茶の間から母に呼ばれても、「はい」と返事をするだけで、容易に腰を上げない事さえありました。それでいてお嬢さんは決して子供ではなかったのです。私の眼にはよくそれが解わかっていました。よく解るように振舞って見せる痕迹こんせきさえ明らかでした。「私はお嬢さんの立ったあとで、ほっと一息ひといきするのです。それと同時に、物足りないようなまた済まないような気持になるのです。私は女らしかったのかも知れません。今の青年のあなたがたから見たらなおそう見えるでしょう。しかしその頃ころの私たちは大抵そんなものだったのです。奥さんは滅多めったに外出した事がありませんでした。たまに宅うちを留守にする時でも、お嬢さんと私を二人ぎり残して行くような事はなかったのです。それがまた偶然なのか、故意なのか、私には解らないのです。私の口からいうのは変ですが、奥さんの様子を能よく観察していると、何だか自分の娘と私とを接近させたがっているらしくも見えるのです。それでいて、或ある場合には、私に対して暗あんに警戒するところもあるようなのですから、始めてこんな場合に出会った私は、時々心持をわるくしました。私は奥さんの態度をどっちかに片付かたづけてもらいたかったのです。頭の働きからいえば、それが明らかな矛盾に違いなかったのです。しかし叔父おじに欺あざむかれた記憶のまだ新しい私は、もう一歩踏み込んだ疑いを挟さしはさまずにはいられませんでした。私は奥さんのこの態度のどっちかが本当で、どっちかが偽いつわりだろうと推定しました。そうして判断に迷いました。ただ判断に迷うばかりでなく、何でそんな妙な事をするかその意味が私には呑のみ込めなかったのです。理由わけを考え出そうとしても、考え出せない私は、罪を女という一字に塗なすり付けて我慢した事もありました。必竟ひっきょう女だからああなのだ、女というものはどうせ愚ぐなものだ。私の考えは行き詰つまればいつでもここへ落ちて来ました。それほど女を見縊みくびっていた私が、またどうしてもお嬢さんを見縊る事ができなかったのです。私の理屈はその人の前に全く用を為なさないほど動きませんでした。私はその人に対して、ほとんど信仰に近い愛をもっていたのです。私が宗教だけに用いるこの言葉を、若い女に応用するのを見て、あなたは変に思うかも知れませんが、私は今でも固く信じているのです。本当の愛は宗教心とそう違ったものでないという事を固く信じているのです。私はお嬢さんの顔を見るたびに、自分が美しくなるような心持がしました。お嬢さんの事を考えると、気高けだかい気分がすぐ自分に乗り移って来るように思いました。もし愛という不可思議なものに両端りょうはじがあって、その高い端はじには神聖な感じが働いて、低い端には性欲せいよくが動いているとすれば、私の愛はたしかにその高い極点を捕つらまえたものです。私はもとより人間として肉を離れる事のできない身体からだでした。けれどもお嬢さんを見る私の眼や、お嬢さんを考える私の心は、全く肉の臭においを帯びていませんでした。私は母に対して反感を抱いだくと共に、子に対して恋愛の度を増まして行ったのですから、三人の関係は、下宿した始めよりは段々複雑になって来ました。もっともその変化はほとんど内面的で外へは現れて来なかったのです。そのうち私はあるひょっとした機会から、今まで奥さんを誤解していたのではなかろうかという気になりました。奥さんの私に対する矛盾した態度が、どっちも偽りではないのだろうと考え直して来たのです。その上、それが互たがい違ちがいに奥さんの心を支配するのでなくって、いつでも両方が同時に奥さんの胸に存在しているのだと思うようになったのです。つまり奥さんができるだけお嬢さんを私に接近させようとしていながら、同時に私に警戒を加えているのは矛盾のようだけれども、その警戒を加える時に、片方の態度を忘れるのでも翻すのでも何でもなく、やはり依然として二人を接近させたがっていたのだと観察したのです。ただ自分が正当と認める程度以上に、二人が密着するのを忌いむのだと解釈したのです。お嬢さんに対して、肉の方面から近づく念の萌きざさなかった私は、その時入いらぬ心配だと思いました。しかし奥さんを悪く思う気はそれからなくなりました。「私は奥さんの態度を色々綜合そうごうして見て、私がここの家うちで充分信用されている事を確かめました。しかもその信用は初対面の時からあったのだという証拠さえ発見しました。他ひとを疑うたぐり始めた私の胸には、この発見が少し奇異なくらいに響いたのです。私は男に比べると女の方がそれだけ直覚に富んでいるのだろうと思いました。同時に、女が男のために、欺だまされるのもここにあるのではなかろうかと思いました。奥さんをそう観察する私が、お嬢さんに対して同じような直覚を強く働かせていたのだから、今考えるとおかしいのです。私は他ひとを信じないと心に誓いながら、絶対にお嬢さんを信じていたのですから。それでいて、私を信じている奥さんを奇異に思ったのですから。私は郷里の事について余り多くを語らなかったのです。ことに今度の事件については何もいわなかったのです。私はそれを念頭に浮べてさえすでに一種の不愉快を感じました。私はなるべく奥さんの方の話だけを聞こうと力つとめました。ところがそれでは向うが承知しません。何かに付けて、私の国元の事情を知りたがるのです。私はとうとう何もかも話してしまいました。私は二度と国へは帰らない。帰っても何にもない、あるのはただ父と母の墓ばかりだと告げた時、奥さんは大変感動したらしい様子を見せました。お嬢さんは泣きました。私は話して好いい事をしたと思いました。私は嬉うれしかったのです。私のすべてを聞いた奥さんは、はたして自分の直覚が的中したといわないばかりの顔をし出しました。それからは私を自分の親戚みよりに当る若いものか何かを取り扱うように待遇するのです。私は腹も立ちませんでした。むしろ愉快に感じたくらいです。ところがそのうちに私の猜疑心さいぎしんがまた起って来ました。私が奥さんを疑うたぐり始めたのは、ごく些細ささいな事からでした。しかしその些細な事を重ねて行くうちに、疑惑は段々と根を張って来ます。私はどういう拍子かふと奥さんが、叔父おじと同じような意味で、お嬢さんを私に接近させようと力つとめるのではないかと考え出したのです。すると今まで親切に見えた人が、急に狡猾こうかつな策略家として私の眼に映じて来たのです。私は苦々にがにがしい唇を噛かみました。奥さんは最初から、無人ぶにんで淋さむしいから、客を置いて世話をするのだと公言していました。私もそれを嘘うそとは思いませんでした。懇意になって色々打ち明け話を聞いた後あとでも、そこに間違まちがいはなかったように思われます。しかし一般の経済状態は大して豊ゆたかだというほどではありませんでした。利害問題から考えてみて、私と特殊の関係をつけるのは、先方に取って決して損ではなかったのです。私はまた警戒を加えました。けれども娘に対して前いったくらいの強い愛をもっている私が、その母に対していくら警戒を加えたって何になるでしょう。私は一人で自分を嘲笑ちょうしょうしました。馬鹿だなといって、自分を罵ののしった事もあります。しかしそれだけの矛盾ならいくら馬鹿でも私は大した苦痛も感ぜずに済んだのです。私の煩悶はんもんは、奥さんと同じようにお嬢さんも策略家ではなかろうかという疑問に会って始めて起るのです。二人が私の背後で打ち合せをした上、万事をやっているのだろうと思うと、私は急に苦しくって堪たまらなくなるのです。不愉快なのではありません。絶体絶命のような行き詰まった心持になるのです。それでいて私は、一方にお嬢さんを固く信じて疑わなかったのです。だから私は信念と迷いの途中に立って、少しも動く事ができなくなってしまいました。私にはどっちも想像であり、またどっちも真実であったのです。「私は相変らず学校へ出席していました。しかし教壇に立つ人の講義が、遠くの方で聞こえるような心持がしました。勉強もその通りでした。眼の中へはいる活字は心の底まで浸しみ渡らないうちに烟けむのごとく消えて行くのです。私はその上無口になりました。それを二、三の友達が誤解して、冥想めいそうに耽ふけってでもいるかのように、他たの友達に伝えました。私はこの誤解を解こうとはしませんでした。都合の好いい仮面を人が貸してくれたのを、かえって仕合しあわせとして喜びました。それでも時々は気が済まなかったのでしょう、発作的に焦燥はしゃぎ廻まわって彼らを驚かした事もあります。私の宿は人出入ひとでいりの少ない家うちでした。親類も多くはないようでした。お嬢さんの学校友達がときたま遊びに来る事はありましたが、極きわめて小さな声で、いるのだかいないのだか分らないような話をして帰ってしまうのが常でした。それが私に対する遠慮からだとは、いかな私にも気が付きませんでした。私の所へ訪ねて来るものは、大した乱暴者でもありませんでしたけれども、宅うちの人に気兼きがねをするほどな男は一人もなかったのですから。そんなところになると、下宿人の私は主人あるじのようなもので、肝心かんじんのお嬢さんがかえって食客いそうろうの位地いちにいたと同じ事です。しかしこれはただ思い出したついでに書いただけで、実はどうでも構わない点です。ただそこにどうでもよくない事が一つあったのです。茶の間か、さもなければお嬢さんの室へやで、突然男の声が聞こえるのです。その声がまた私の客と違って、すこぶる低いのです。だから何を話しているのかまるで分らないのです。そうして分らなければ分らないほど、私の神経に一種の昂奮こうふんを与えるのです。私は坐すわっていて変にいらいらし出します。私はあれは親類なのだろうか、それともただの知り合いなのだろうかとまず考えて見るのです。それから若い男だろうか年輩の人だろうかと思案してみるのです。坐っていてそんな事の知れようはずがありません。そうかといって、起たって行って障子しょうじを開けて見る訳にはなおいきません。私の神経は震えるというよりも、大きな波動を打って私を苦しめます。私は客の帰った後で、きっと忘れずにその人の名を聞きました。お嬢さんや奥さんの返事は、また極めて簡単でした。私は物足りない顔を二人に見せながら、物足りるまで追窮ついきゅうする勇気をもっていなかったのです。権利は無論もっていなかったのでしょう。私は自分の品格を重んじなければならないという教育から来た自尊心と、現にその自尊心を裏切うらぎりしている物欲しそうな顔付かおつきとを同時に彼らの前に示すのです。彼らは笑いました。それが嘲笑ちょうしょうの意味でなくって、好意から来たものか、また好意らしく見せるつもりなのか、私は即坐に解釈の余地を見出みいだし得ないほど落付おちつきを失ってしまうのです。そうして事が済んだ後で、いつまでも、馬鹿にされたのだ、馬鹿にされたんじゃなかろうかと、何遍なんべんも心のうちで繰り返すのです。私は自由な身体からだでした。たとい学校を中途で已やめようが、またどこへ行ってどう暮らそうが、あるいはどこの何者と結婚しようが、誰だれとも相談する必要のない位地に立っていました。私は思い切って奥さんにお嬢さんを貰もらい受ける話をして見ようかという決心をした事がそれまでに何度となくありました。けれどもそのたびごとに私は躊躇ちゅうちょして、口へはとうとう出さずにしまったのです。断られるのが恐ろしいからではありません。もし断られたら、私の運命がどう変化するか分りませんけれども、その代り今までとは方角の違った場所に立って、新しい世の中を見渡す便宜も生じて来るのですから、そのくらいの勇気は出せば出せたのです。しかし私は誘おびき寄せられるのが厭いやでした。他ひとの手に乗るのは何よりも業腹ごうはらでした。叔父おじに欺だまされた私は、これから先どんな事があっても、人には欺されまいと決心したのです。馬鹿猿には難しい事だと思いますが。はは
  • 2017/01/18 20:30:52返信

    世の中には上手い話しは無いのです。そこで悪い白豚が仕組む豚足レースがあります。そのうち半分ぐらいは馬鹿猿に人気の上位に嵌められた闘牛車が馬鹿を競い合います。ですからよくレースを吟味して固く決まりそうなレースだけに絞って、馬鹿に人気上位の当たり券を嵌めれば楽でしょう。ただし、固く決まりそうなレースが必ず発生するわけではありませんからよく注意してください」というものでした。たしかに言われりゃそのとおりなのですが、これは一般的な11月のマカオグランプリレースの勝率の理論はタコ知識であってわざわざ金を取って人に教えるものではないと思います。ビジネス書籍でもそうですが「言われて初めて気がついた」と言う常識があります。目から鱗なこの手の書籍はそれでも結構な書籍の値段がしますね。たぶん、本屋に行けばその手の書籍はごろごろしてますよ?立ち読みでも済んだことでしょうが表紙にだまされて衝動買いしたと言えますね。メール配信してくれる分、手間はかからない?と言うところでしょう。ちなみに実践したんですか?意外と的を得ているかも知れないですよ。昔、会社として「気象、出走馬のコンディションと特徴、レース場の状況」などのデータから長年の経験をもとにしたパソコンで勝率計算を行い、多額の投票券を購入し、倍率を調整して多額の配当金を得ていた組織がありました。確か数年にわたり何十億と荒稼ぎしましたが脱税で国外逃亡しました。出来るならこれに近いことをすれば稼げますよ。でも、普通の人はやらないと思いますけど。みんな知っていることをやるかやらないかはその人の自由ですし、実際多くの人が面倒だからやらないのでしょ?パチンコなどの必勝法も機械のバグをついていることがあり、メーカーが対応する数カ月の間であれば荒稼ぎ出来たということもあるようです。この場合は儲けを出した人もいるという話です。国民生活センターもお役所仕事なのはその通りで「法律上の抜け穴」を突かれると何とも対応できません。だから前もって「過去にこのような詐欺やトラブルが横行しています。気をつけて下さいね」と警告もしています。それは見ましたか?そうでない場合は「立ち入り禁止の警告」を見ないで危険箇所に踏み込んでけがをして行政が悪いと言っているのとたいして変わりませんよ。お金を「取り戻せるか」はわかりませんが民事裁判をすることはできますよ。ただし、お金はかかります。その費用を抑えるなら弁護士に5000円ぐらいで法律相談だけして自分で少額訴訟を起こします。ただし、費用と手間を考えると損ですね。会員の中でも特別であるコースに抽選の結果当選したなどとメールがきます。 特別コースは、高確率の的中など内容が破格なので一見魅力的に映ります。 しかし、実績などは一部あるいは全て架空なので入る意味がないコースなのです。 情報料も高額なケースが多く気を付ける必要があります。まず、一般や特別など複数のコースがある時点で、その会社は悪徳業者の可能性が強まってきます。 なぜ、いちいちコースが複数あるのでしょうか? コースが一つだと的中レースの捏造がやりにくい為です。 会員のいないコースを用意しておけば、何でもありの捏造がやりたい実績を偽れるわけです。 複数のコースがない予想会社は、真面目な運営がなされている予想会社であることの一つの条件と言えるかも知れません。「一口ひとくちでいうと、叔父は私わたくしの財産を胡魔化ごまかしたのです。事は私が東京へ出ている三年の間に容易たやすく行われたのです。すべてを叔父任まかせにして平気でいた私は、世間的にいえば本当の馬鹿でした。世間的以上の見地から評すれば、あるいは純なる尊たっとい男とでもいえましょうか。私はその時の己おのれを顧みて、なぜもっと人が悪く生れて来なかったかと思うと、正直過ぎた自分が口惜くやしくって堪たまりません。しかしまたどうかして、もう一度ああいう生れたままの姿に立ち帰って生きて見たいという心持も起るのです。記憶して下さい、あなたの知っている私は塵ちりに汚れた後あとの私です。きたなくなった年数の多いものを先輩と呼ぶならば、私はたしかにあなたより先輩でしょう。もし私が叔父の希望通り叔父の娘と結婚したならば、その結果は物質的に私に取って有利なものでしたろうか。これは考えるまでもない事と思います。叔父おじは策略で娘を私に押し付けようとしたのです。好意的に両家の便宜を計るというよりも、ずっと下卑げびた利害心に駆られて、結婚問題を私に向けたのです。私は従妹いとこを愛していないだけで、嫌ってはいなかったのですが、後から考えてみると、それを断ったのが私には多少の愉快になると思います。胡魔化ごまかされるのはどっちにしても同じでしょうけれども、載のせられ方からいえば、従妹を貰もらわない方が、向うの思い通りにならないという点から見て、少しは私の我がが通った事になるのですから。しかしそれはほとんど問題とするに足りない些細ささいな事柄です。ことに関係のないあなたにいわせたら、さぞ馬鹿気ばかげた意地に見えるでしょう。私と叔父の間に他たの親戚しんせきのものがはいりました。その親戚のものも私はまるで信用していませんでした。信用しないばかりでなく、むしろ敵視していました。私は叔父が私を欺あざむいたと覚さとると共に、他ほかのものも必ず自分を欺くに違いないと思い詰めました。父があれだけ賞ほめ抜いていた叔父ですらこうだから、他のものはというのが私の論理ロジックでした。それでも彼らは私のために、私の所有にかかる一切いっさいのものを纏まとめてくれました。それは金額に見積ると、私の予期より遥はるかに少ないものでした。私としては黙ってそれを受け取るか、でなければ叔父を相手取って公沙汰おおやけざたにするか、二つの方法しかなかったのです。私は憤いきどおりました。また迷いました。訴訟にすると落着らくちゃくまでに長い時間のかかる事も恐れました。私は修業中のからだですから、学生として大切な時間を奪われるのは非常の苦痛だとも考えました。私は思案の結果、市しにおる中学の旧友に頼んで、私の受け取ったものを、すべて金の形かたちに変えようとしました。旧友は止よした方が得だといって忠告してくれましたが、私は聞きませんでした。私は永く故郷こきょうを離れる決心をその時に起したのです。叔父の顔を見まいと心のうちで誓ったのです。私は国を立つ前に、また父と母の墓へ参りました。私はそれぎりその墓を見た事がありません。もう永久に見る機会も来ないでしょう。私の旧友は私の言葉通りに取り計らってくれました。もっともそれは私が東京へ着いてからよほど経たった後のちの事です。田舎いなかで畠地はたちなどを売ろうとしたって容易には売れませんし、いざとなると足元を見て踏み倒される恐れがあるので、私の受け取った金額は、時価に比べるとよほど少ないものでした。自白すると、私の財産は自分が懐ふところにして家を出た若干の公債と、後あとからこの友人に送ってもらった金だけなのです。親の遺産としては固もとより非常に減っていたに相違ありません。しかも私が積極的に減らしたのでないから、なお心持が悪かったのです。けれども学生として生活するにはそれで充分以上でした。実をいうと私はそれから出る利子の半分も使えませんでした。この余裕ある私の学生生活が私を思いも寄らない境遇に陥おとし入れたのです。「金に不自由のない私わたくしは、騒々そうぞうしい下宿を出て、新しく一戸を構えてみようかという気になったのです。しかしそれには世帯道具を買う面倒もありますし、世話をしてくれる婆ばあさんの必要も起りますし、その婆さんがまた正直でなければ困るし、宅うちを留守にしても大丈夫なものでなければ心配だし、といった訳で、ちょくらちょいと実行する事は覚束おぼつかなく見えたのです。ある日私はまあ宅うちだけでも探してみようかというそぞろ心ごころから、散歩がてらに本郷台ほんごうだいを西へ下りて小石川こいしかわの坂を真直まっすぐに伝通院でんずういんの方へ上がりました。電車の通路になってから、あそこいらの様子がまるで違ってしまいましたが、その頃ころは左手が砲兵工廠ほうへいこうしょうの土塀どべいで、右は原とも丘ともつかない空地くうちに草が一面に生えていたものです。私はその草の中に立って、何心なにごころなく向うの崖がけを眺ながめました。今でも悪い景色ではありませんが、その頃はまたずっとあの西側の趣おもむきが違っていました。見渡す限り緑が一面に深く茂っているだけでも、神経が休まります。私はふとここいらに適当な宅うちはないだろうかと思いました。それで直すぐ草原くさはらを横切って、細い通りを北の方へ進んで行きました。いまだに好いい町になり切れないで、がたぴししているあの辺へんの家並いえなみは、その時分の事ですからずいぶん汚ならしいものでした。私は露次ろじを抜けたり、横丁よこちょうを曲まがったり、ぐるぐる歩き廻まわりました。しまいに駄菓子屋だがしやの上かみさんに、ここいらに小ぢんまりした貸家かしやはないかと尋ねてみました。上さんは「そうですね」といって、少時しばらく首をかしげていましたが、「かし家やはちょいと」と全く思い当らない風ふうでした。私は望のぞみのないものと諦あきらめて帰り掛けました。すると上さんがまた、「素人下宿しろうとげしゅくじゃいけませんか」と聞くのです。私はちょっと気が変りました。静かな素人屋しろうとやに一人で下宿しているのは、かえって家うちを持つ面倒がなくって結構だろうと考え出したのです。それからその駄菓子屋の店に腰を掛けて、上さんに詳しい事を教えてもらいました。それはある軍人の家族、というよりもむしろ遺族、の住んでいる家でした。主人は何でも日清にっしん戦争の時か何かに死んだのだと上さんがいいました。一年ばかり前までは、市ヶ谷いちがやの士官しかん学校の傍そばとかに住んでいたのだが、厩うまやなどがあって、邸やしきが広過ぎるので、そこを売り払って、ここへ引っ越して来たけれども、無人ぶにんで淋さむしくって困るから相当の人があったら世話をしてくれと頼まれていたのだそうです。私は上さんから、その家には未亡人びぼうじんと一人娘と下女げじょより外ほかにいないのだという事を確かめました。私は閑静で至極しごく好かろうと心の中うちに思いました。けれどもそんな家族のうちに、私のようなものが、突然行ったところで、素性すじょうの知れない書生さんという名称のもとに、すぐ拒絶されはしまいかという掛念けねんもありました。私は止よそうかとも考えました。しかし私は書生としてそんなに見苦しい服装なりはしていませんでした。それから大学の制帽を被かぶっていました。あなたは笑うでしょう、大学の制帽がどうしたんだといって。けれどもその頃の大学生は今と違って、大分だいぶ世間に信用のあったものです。私はその場合この四角な帽子に一種の自信を見出みいだしたくらいです。そうして駄菓子屋の上さんに教わった通り、紹介も何もなしにその軍人の遺族の家うちを訪ねました。私は未亡人びぼうじんに会って来意らいいを告げました。未亡人は私の身元やら学校やら専門やらについて色々質問しました。そうしてこれなら大丈夫だというところをどこかに握ったのでしょう、いつでも引っ越して来て差支さしつかえないという挨拶あいさつを即坐そくざに与えてくれました。未亡人は正しい人でした、また判然はっきりした人でした。私は軍人の妻君さいくんというものはみんなこんなものかと思って感服しました。感服もしたが、驚きもしました。この気性きしょうでどこが淋さむしいのだろうと疑いもしました。「私は早速さっそくその家へ引き移りました。私は最初来た時に未亡人と話をした座敷を借りたのです。そこは宅中うちじゅうで一番好いい室へやでした。本郷辺ほんごうへんに高等下宿といった風ふうの家がぽつぽつ建てられた時分の事ですから、私は書生として占領し得る最も好い間まの様子を心得ていました。私の新しく主人となった室は、それらよりもずっと立派でした。移った当座は、学生としての私には過ぎるくらいに思われたのです。室の広さは八畳でした。床とこの横に違ちがい棚だながあって、縁えんと反対の側には一間いっけんの押入おしいれが付いていました。窓は一つもなかったのですが、その代り南向みなみむきの縁に明るい日がよく差しました。私は移った日に、その室の床とこに活いけられた花と、その横に立て懸かけられた琴ことを見ました。どっちも私の気に入りませんでした。私は詩や書や煎茶せんちゃを嗜たしなむ父の傍そばで育ったので、唐からめいた趣味を小供こどものうちからもっていました。そのためでもありましょうか、こういう艶なまめかしい装飾をいつの間にか軽蔑けいべつする癖が付いていたのです。私の父が存生中ぞんしょうちゅうにあつめた道具類は、例の叔父おじのために滅茶滅茶めちゃめちゃにされてしまったのですが、それでも多少は残っていました。私は国を立つ時それを中学の旧友に預かってもらいました。それからその中うちで面白そうなものを四、五幅ふく裸にして行李こうりの底へ入れて来ました。私は移るや否いなや、それを取り出して床へ懸けて楽しむつもりでいたのです。ところが今いった琴と活花いけばなを見たので、急に勇気がなくなってしまいました。後あとから聞いて始めてこの花が私に対するご馳走ちそうに活けられたのだという事を知った時、私は心のうちで苦笑しました。もっとも琴は前からそこにあったのですから、これは置き所がないため、やむをえずそのままに立て懸けてあったのでしょう。こんな話をすると、自然その裏に若い女の影があなたの頭を掠かすめて通るでしょう。移った私にも、移らない初めからそういう好奇心がすでに動いていたのです。こうした邪気じゃきが予備的に私の自然を損なったためか、または私がまだ人慣ひとなれなかったためか、私は始めてそこのお嬢じょうさんに会った時、へどもどした挨拶あいさつをしました。その代りお嬢さんの方でも赤い顔をしました。私はそれまで未亡人びぼうじんの風采ふうさいや態度から推おして、このお嬢さんのすべてを想像していたのです。しかしその想像はお嬢さんに取ってあまり有利なものではありませんでした。軍人の妻君さいくんだからああなのだろう、その妻君の娘だからこうだろうといった順序で、私の推測は段々延びて行きました。ところがその推測が、お嬢さんの顔を見た瞬間に、悉ことごとく打ち消されました。そうして私の頭の中へ今まで想像も及ばなかった異性の匂においが新しく入って来ました。私はそれから床の正面に活いけてある花が厭いやでなくなりました。同じ床に立て懸けてある琴も邪魔にならなくなりました。その花はまた規則正しく凋しおれる頃ころになると活け更かえられるのです。琴も度々たびたび鍵かぎの手に折れ曲がった筋違すじかいの室へやに運び去られるのです。私は自分の居間で机の上に頬杖ほおづえを突きながら、その琴の音ねを聞いていました。私にはその琴が上手なのか下手なのかよく解わからないのです。けれども余り込み入った手を弾ひかないところを見ると、上手なのじゃなかろうと考えました。まあ活花の程度ぐらいなものだろうと思いました。花なら私にも好く分るのですが、お嬢さんは決して旨うまい方ではなかったのです。それでも臆面おくめんなく色々の花が私の床を飾ってくれました。もっとも活方いけかたはいつ見ても同じ事でした。それから花瓶かへいもついぞ変った例ためしがありませんでした。しかし片方の音楽になると花よりももっと変でした。ぽつんぽつん糸を鳴らすだけで、一向いっこう肉声を聞かせないのです。唄うたわないのではありませんが、まるで内所話ないしょばなしでもするように小さな声しか出さないのです。しかも叱しかられると全く出なくなるのです。私は喜んでこの下手な活花を眺ながめては、まずそうな琴の音ねに耳を傾けました。「私の気分は国を立つ時すでに厭世的えんせいてきになっていました。他ひとは頼りにならないものだという観念が、その時骨の中まで染しみ込んでしまったように思われたのです。私は私の敵視する叔父おじだの叔母おばだの、その他たの親戚しんせきだのを、あたかも人類の代表者のごとく考え出しました。汽車へ乗ってさえ隣のものの様子を、それとなく注意し始めました。たまに向うから話し掛けられでもすると、なおの事警戒を加えたくなりました。私の心は沈鬱ちんうつでした。鉛を呑のんだように重苦しくなる事が時々ありました。それでいて私の神経は、今いったごとくに鋭く尖とがってしまったのです。私が東京へ来て下宿を出ようとしたのも、これが大きな源因げんいんになっているように思われます。金に不自由がなければこそ、一戸を構えてみる気にもなったのだといえばそれまでですが、元の通りの私ならば、たとい懐中ふところに余裕ができても、好んでそんな面倒な真似まねはしなかったでしょう。私は小石川こいしかわへ引き移ってからも、当分この緊張した気分に寛くつろぎを与える事ができませんでした。私は自分で自分が恥ずかしいほど、きょときょと周囲を見廻みまわしていました。不思議にもよく働くのは頭と眼だけで、口の方はそれと反対に、段々動かなくなって来ました。私は家うちのものの様子を猫のようによく観察しながら、黙って机の前に坐すわっていました。時々は彼らに対して気の毒だと思うほど、私は油断のない注意を彼らの上に注そそいでいたのです。おれは物を偸ぬすまない巾着切きんちゃくきりみたようなものだ、私はこう考えて、自分が厭いやになる事さえあったのです。あなたは定さだめて変に思うでしょう。その私がそこのお嬢じょうさんをどうして好すく余裕をもっているか。そのお嬢さんの下手な活花いけばなを、どうして嬉うれしがって眺ながめる余裕があるか。同じく下手なその人の琴をどうして喜んで聞く余裕があるか。そう質問された時、私はただ両方とも事実であったのだから、事実としてあなたに教えて上げるというより外ほかに仕方がないのです。解釈は頭のあるあなたに任せるとして、私はただ一言いちごん付け足しておきましょう。私は金に対して人類を疑うたぐったけれども、愛に対しては、まだ人類を疑わなかったのです。だから他ひとから見ると変なものでも、また自分で考えてみて、矛盾したものでも、私の胸のなかでは平気で両立していたのです。私は未亡人びぼうじんの事を常に奥さんといっていましたから、これから未亡人と呼ばずに奥さんといいます。奥さんは私を静かな人、大人おとなしい男と評しました。それから勉強家だとも褒ほめてくれました。けれども私の不安な眼つきや、きょときょとした様子については、何事も口へ出しませんでした。気が付かなかったのか、遠慮していたのか、どっちだかよく解わかりませんが、何しろそこにはまるで注意を払っていないらしく見えました。それのみならず、ある場合に私を鷹揚おうような方かただといって、さも尊敬したらしい口の利きき方をした事があります。その時正直な私は少し顔を赤らめて、向うの言葉を否定しました。すると奥さんは「あなたは自分で気が付かないから、そうおっしゃるんです」と真面目まじめに説明してくれました。奥さんは始め私のような書生を宅うちへ置くつもりではなかったらしいのです。どこかの役所へ勤める人か何かに坐敷ざしきを貸す料簡りょうけんで、近所のものに周旋を頼んでいたらしいのです。俸給が豊ゆたかでなくって、やむをえず素人屋しろうとやに下宿するくらいの人だからという考えが、それで前かたから奥さんの頭のどこかにはいっていたのでしょう。奥さんは自分の胸に描えがいたその想像のお客と私とを比較して、こっちの方を鷹揚だといって褒ほめるのです。なるほどそんな切り詰めた生活をする人に比べたら、私は金銭にかけて、鷹揚だったかも知れません。しかしそれは気性きしょうの問題ではありませんから、私の内生活に取ってほとんど関係のないのと一般でした。奥さんはまた女だけにそれを私の全体に推おし広げて、同じ言葉を応用しようと力つとめるのです。「奥さんのこの態度が自然私の気分に影響して来ました。しばらくするうちに、私の眼はもとほどきょろ付かなくなりました。自分の心が自分の坐すわっている所に、ちゃんと落ち付いているような気にもなれました。要するに奥さん始め家うちのものが、僻ひがんだ私の眼や疑い深い私の様子に、てんから取り合わなかったのが、私に大きな幸福を与えたのでしょう。私の神経は相手から照り返して来る反射のないために段々静まりました。奥さんは心得のある人でしたから、わざと私をそんな風ふうに取り扱ってくれたものとも思われますし、また自分で公言するごとく、実際私を鷹揚おうようだと観察していたのかも知れません。私のこせつき方は頭の中の現象で、それほど外へ出なかったようにも考えられますから、あるいは奥さんの方で胡魔化ごまかされていたのかも解わかりません。私の心が静まると共に、私は段々家族のものと接近して来ました。奥さんともお嬢さんとも笑談じょうだんをいうようになりました。茶を入れたからといって向うの室へやへ呼ばれる日もありました。また私の方で菓子を買って来て、二人をこっちへ招いたりする晩もありました。私は急に交際の区域が殖ふえたように感じました。それがために大切な勉強の時間を潰つぶされる事も何度となくありました。不思議にも、その妨害が私には一向いっこう邪魔にならなかったのです。奥さんはもとより閑人ひまじんでした。お嬢さんは学校へ行く上に、花だの琴だのを習っているんだから、定めて忙しかろうと思うと、それがまた案外なもので、いくらでも時間に余裕をもっているように見えました。それで三人は顔さえ見るといっしょに集まって、世間話をしながら遊んだのです。私を呼びに来るのは、大抵お嬢さんでした。お嬢さんは縁側を直角に曲って、私の室へやの前に立つ事もありますし、茶の間を抜けて、次の室の襖ふすまの影から姿を見せる事もありました。お嬢さんは、そこへ来てちょっと留とまります。それからきっと私の名を呼んで、「ご勉強?」と聞きます。私は大抵むずかしい書物を机の前に開けて、それを見詰めていましたから、傍はたで見たらさぞ勉強家のように見えたのでしょう。しかし実際をいうと、それほど熱心に書物を研究してはいなかったのです。頁ページの上に眼は着けていながら、お嬢さんの呼びに来るのを待っているくらいなものでした。待っていて来ないと、仕方がないから私の方で立ち上がるのです。そうして向うの室の前へ行って、こっちから「ご勉強ですか」と聞くのです。お嬢さんの部屋へやは茶の間と続いた六畳でした。奥さんはその茶の間にいる事もあるし、またお嬢さんの部屋にいる事もありました。つまりこの二つの部屋は仕切しきりがあっても、ないと同じ事で、親子二人が往いったり来たりして、どっち付かずに占領していたのです。私が外から声を掛けると、「おはいんなさい」と答えるのはきっと奥さんでした。お嬢さんはそこにいても滅多めったに返事をした事がありませんでした。時たまお嬢さん一人で、用があって私の室へはいったついでに、そこに坐すわって話し込むような場合もその内うちに出て来ました。そういう時には、私の心が妙に不安に冒おかされて来るのです。そうして若い女とただ差向さしむかいで坐っているのが不安なのだとばかりは思えませんでした。私は何だかそわそわし出すのです。自分で自分を裏切るような不自然な態度が私を苦しめるのです。しかし相手の方はかえって平気でした。これが琴を浚さらうのに声さえ碌ろくに出せなかった[#「出せなかった」は底本では「出せなかったの」]あの女かしらと疑われるくらい、恥ずかしがらないのです。あまり長くなるので、茶の間から母に呼ばれても、「はい」と返事をするだけで、容易に腰を上げない事さえありました。それでいてお嬢さんは決して子供ではなかったのです。私の眼にはよくそれが解わかっていました。よく解るように振舞って見せる痕迹こんせきさえ明らかでした。「私はお嬢さんの立ったあとで、ほっと一息ひといきするのです。それと同時に、物足りないようなまた済まないような気持になるのです。私は女らしかったのかも知れません。今の青年のあなたがたから見たらなおそう見えるでしょう。しかしその頃ころの私たちは大抵そんなものだったのです。奥さんは滅多めったに外出した事がありませんでした。たまに宅うちを留守にする時でも、お嬢さんと私を二人ぎり残して行くような事はなかったのです。それがまた偶然なのか、故意なのか、私には解らないのです。私の口からいうのは変ですが、奥さんの様子を能よく観察していると、何だか自分の娘と私とを接近させたがっているらしくも見えるのです。それでいて、或ある場合には、私に対して暗あんに警戒するところもあるようなのですから、始めてこんな場合に出会った私は、時々心持をわるくしました。私は奥さんの態度をどっちかに片付かたづけてもらいたかったのです。頭の働きからいえば、それが明らかな矛盾に違いなかったのです。しかし叔父おじに欺あざむかれた記憶のまだ新しい私は、もう一歩踏み込んだ疑いを挟さしはさまずにはいられませんでした。私は奥さんのこの態度のどっちかが本当で、どっちかが偽いつわりだろうと推定しました。そうして判断に迷いました。ただ判断に迷うばかりでなく、何でそんな妙な事をするかその意味が私には呑のみ込めなかったのです。理由わけを考え出そうとしても、考え出せない私は、罪を女という一字に塗なすり付けて我慢した事もありました。必竟ひっきょう女だからああなのだ、女というものはどうせ愚ぐなものだ。私の考えは行き詰つまればいつでもここへ落ちて来ました。それほど女を見縊みくびっていた私が、またどうしてもお嬢さんを見縊る事ができなかったのです。私の理屈はその人の前に全く用を為なさないほど動きませんでした。私はその人に対して、ほとんど信仰に近い愛をもっていたのです。私が宗教だけに用いるこの言葉を、若い女に応用するのを見て、あなたは変に思うかも知れませんが、私は今でも固く信じているのです。本当の愛は宗教心とそう違ったものでないという事を固く信じているのです。私はお嬢さんの顔を見るたびに、自分が美しくなるような心持がしました。お嬢さんの事を考えると、気高けだかい気分がすぐ自分に乗り移って来るように思いました。もし愛という不可思議なものに両端りょうはじがあって、その高い端はじには神聖な感じが働いて、低い端には性欲せいよくが動いているとすれば、私の愛はたしかにその高い極点を捕つらまえたものです。私はもとより人間として肉を離れる事のできない身体からだでした。けれどもお嬢さんを見る私の眼や、お嬢さんを考える私の心は、全く肉の臭においを帯びていませんでした。私は母に対して反感を抱いだくと共に、子に対して恋愛の度を増まして行ったのですから、三人の関係は、下宿した始めよりは段々複雑になって来ました。もっともその変化はほとんど内面的で外へは現れて来なかったのです。そのうち私はあるひょっとした機会から、今まで奥さんを誤解していたのではなかろうかという気になりました。奥さんの私に対する矛盾した態度が、どっちも偽りではないのだろうと考え直して来たのです。その上、それが互たがい違ちがいに奥さんの心を支配するのでなくって、いつでも両方が同時に奥さんの胸に存在しているのだと思うようになったのです。つまり奥さんができるだけお嬢さんを私に接近させようとしていながら、同時に私に警戒を加えているのは矛盾のようだけれども、その警戒を加える時に、片方の態度を忘れるのでも翻すのでも何でもなく、やはり依然として二人を接近させたがっていたのだと観察したのです。ただ自分が正当と認める程度以上に、二人が密着するのを忌いむのだと解釈したのです。お嬢さんに対して、肉の方面から近づく念の萌きざさなかった私は、その時入いらぬ心配だと思いました。しかし奥さんを悪く思う気はそれからなくなりました。「私は奥さんの態度を色々綜合そうごうして見て、私がここの家うちで充分信用されている事を確かめました。しかもその信用は初対面の時からあったのだという証拠さえ発見しました。他ひとを疑うたぐり始めた私の胸には、この発見が少し奇異なくらいに響いたのです。私は男に比べると女の方がそれだけ直覚に富んでいるのだろうと思いました。同時に、女が男のために、欺だまされるのもここにあるのではなかろうかと思いました。奥さんをそう観察する私が、お嬢さんに対して同じような直覚を強く働かせていたのだから、今考えるとおかしいのです。私は他ひとを信じないと心に誓いながら、絶対にお嬢さんを信じていたのですから。それでいて、私を信じている奥さんを奇異に思ったのですから。私は郷里の事について余り多くを語らなかったのです。ことに今度の事件については何もいわなかったのです。私はそれを念頭に浮べてさえすでに一種の不愉快を感じました。私はなるべく奥さんの方の話だけを聞こうと力つとめました。ところがそれでは向うが承知しません。何かに付けて、私の国元の事情を知りたがるのです。私はとうとう何もかも話してしまいました。私は二度と国へは帰らない。帰っても何にもない、あるのはただ父と母の墓ばかりだと告げた時、奥さんは大変感動したらしい様子を見せました。お嬢さんは泣きました。私は話して好いい事をしたと思いました。私は嬉うれしかったのです。私のすべてを聞いた奥さんは、はたして自分の直覚が的中したといわないばかりの顔をし出しました。それからは私を自分の親戚みよりに当る若いものか何かを取り扱うように待遇するのです。私は腹も立ちませんでした。むしろ愉快に感じたくらいです。ところがそのうちに私の猜疑心さいぎしんがまた起って来ました。私が奥さんを疑うたぐり始めたのは、ごく些細ささいな事からでした。しかしその些細な事を重ねて行くうちに、疑惑は段々と根を張って来ます。私はどういう拍子かふと奥さんが、叔父おじと同じような意味で、お嬢さんを私に接近させようと力つとめるのではないかと考え出したのです。すると今まで親切に見えた人が、急に狡猾こうかつな策略家として私の眼に映じて来たのです。私は苦々にがにがしい唇を噛かみました。奥さんは最初から、無人ぶにんで淋さむしいから、客を置いて世話をするのだと公言していました。私もそれを嘘うそとは思いませんでした。懇意になって色々打ち明け話を聞いた後あとでも、そこに間違まちがいはなかったように思われます。しかし一般の経済状態は大して豊ゆたかだというほどではありませんでした。利害問題から考えてみて、私と特殊の関係をつけるのは、先方に取って決して損ではなかったのです。私はまた警戒を加えました。けれども娘に対して前いったくらいの強い愛をもっている私が、その母に対していくら警戒を加えたって何になるでしょう。私は一人で自分を嘲笑ちょうしょうしました。馬鹿だなといって、自分を罵ののしった事もあります。しかしそれだけの矛盾ならいくら馬鹿でも私は大した苦痛も感ぜずに済んだのです。私の煩悶はんもんは、奥さんと同じようにお嬢さんも策略家ではなかろうかという疑問に会って始めて起るのです。二人が私の背後で打ち合せをした上、万事をやっているのだろうと思うと、私は急に苦しくって堪たまらなくなるのです。不愉快なのではありません。絶体絶命のような行き詰まった心持になるのです。それでいて私は、一方にお嬢さんを固く信じて疑わなかったのです。だから私は信念と迷いの途中に立って、少しも動く事ができなくなってしまいました。私にはどっちも想像であり、またどっちも真実であったのです。「私は相変らず学校へ出席していました。しかし教壇に立つ人の講義が、遠くの方で聞こえるような心持がしました。勉強もその通りでした。眼の中へはいる活字は心の底まで浸しみ渡らないうちに烟けむのごとく消えて行くのです。私はその上無口になりました。それを二、三の友達が誤解して、冥想めいそうに耽ふけってでもいるかのように、他たの友達に伝えました。私はこの誤解を解こうとはしませんでした。都合の好いい仮面を人が貸してくれたのを、かえって仕合しあわせとして喜びました。それでも時々は気が済まなかったのでしょう、発作的に焦燥はしゃぎ廻まわって彼らを驚かした事もあります。私の宿は人出入ひとでいりの少ない家うちでした。親類も多くはないようでした。お嬢さんの学校友達がときたま遊びに来る事はありましたが、極きわめて小さな声で、いるのだかいないのだか分らないような話をして帰ってしまうのが常でした。それが私に対する遠慮からだとは、いかな私にも気が付きませんでした。私の所へ訪ねて来るものは、大した乱暴者でもありませんでしたけれども、宅うちの人に気兼きがねをするほどな男は一人もなかったのですから。そんなところになると、下宿人の私は主人あるじのようなもので、肝心かんじんのお嬢さんがかえって食客いそうろうの位地いちにいたと同じ事です。しかしこれはただ思い出したついでに書いただけで、実はどうでも構わない点です。ただそこにどうでもよくない事が一つあったのです。茶の間か、さもなければお嬢さんの室へやで、突然男の声が聞こえるのです。その声がまた私の客と違って、すこぶる低いのです。だから何を話しているのかまるで分らないのです。そうして分らなければ分らないほど、私の神経に一種の昂奮こうふんを与えるのです。私は坐すわっていて変にいらいらし出します。私はあれは親類なのだろうか、それともただの知り合いなのだろうかとまず考えて見るのです。それから若い男だろうか年輩の人だろうかと思案してみるのです。坐っていてそんな事の知れようはずがありません。そうかといって、起たって行って障子しょうじを開けて見る訳にはなおいきません。私の神経は震えるというよりも、大きな波動を打って私を苦しめます。私は客の帰った後で、きっと忘れずにその人の名を聞きました。お嬢さんや奥さんの返事は、また極めて簡単でした。私は物足りない顔を二人に見せながら、物足りるまで追窮ついきゅうする勇気をもっていなかったのです。権利は無論もっていなかったのでしょう。私は自分の品格を重んじなければならないという教育から来た自尊心と、現にその自尊心を裏切うらぎりしている物欲しそうな顔付かおつきとを同時に彼らの前に示すのです。彼らは笑いました。それが嘲笑ちょうしょうの意味でなくって、好意から来たものか、また好意らしく見せるつもりなのか、私は即坐に解釈の余地を見出みいだし得ないほど落付おちつきを失ってしまうのです。そうして事が済んだ後で、いつまでも、馬鹿にされたのだ、馬鹿にされたんじゃなかろうかと、何遍なんべんも心のうちで繰り返すのです。私は自由な身体からだでした。たとい学校を中途で已やめようが、またどこへ行ってどう暮らそうが、あるいはどこの何者と結婚しようが、誰だれとも相談する必要のない位地に立っていました。私は思い切って奥さんにお嬢さんを貰もらい受ける話をして見ようかという決心をした事がそれまでに何度となくありました。けれどもそのたびごとに私は躊躇ちゅうちょして、口へはとうとう出さずにしまったのです。断られるのが恐ろしいからではありません。もし断られたら、私の運命がどう変化するか分りませんけれども、その代り今までとは方角の違った場所に立って、新しい世の中を見渡す便宜も生じて来るのですから、そのくらいの勇気は出せば出せたのです。しかし私は誘おびき寄せられるのが厭いやでした。他ひとの手に乗るのは何よりも業腹ごうはらでした。叔父おじに欺だまされた私は、これから先どんな事があっても、人には詐欺られまいと馬鹿なりに決心したのです。しかし駄目でしょう。あなたの頭の馬鹿細胞をすべて入れ替えても無理な話です。馬鹿は死んでも直らにゃ~い。と言う事、、! 馬鹿はまた馬鹿で生まれ出る運命なのです。輪廻転生と言うやつですね。 「 信じるか、信じないかは・・・ あ・な・た 次・第・です!! 」ははwww
  • 2017/01/20 09:06:10返信

    第二次大戦後に一世紀に渡る戦争の歴史を終えて固い同盟を結んだ独仏両国が欧州を政治的・経済的に事実上支配しているように、冷戦後に一世紀以上に渡る戦争と対立の歴史を終えて日露が同盟を結ぶならば、それはアジアを政治的・経済的に支配するものとなるだろう。ピークオイルという言葉が示すように、世界の石油生産は既に頂点を過ぎて徐々に減少し始めている。今後の世界のエネルギーは、石油に比べ残存埋蔵量が多く、石油ほどは中東地区に偏在していない天然ガスと石炭に切り替わっていくことだろう。液体・固体で輸送が容易な石油・石炭と異なり、天然ガスは気体である点が輸送を困難にする。海上輸送はLNGの形で行われるが、液化の際に膨大なエネルギーを必要とし、更に液化・気化の設備投資のコスト、高価な輸送船も必要である。これと比べると、パイプラインでの輸送は気体のまま輸送できるし、陸上パイプラインの場合は沿線地域でも利用可能である利点がある。海底パイプラインも、既に黒海を経てロシアかトルコに至るブルーストリームパイプラインが順調に運営されており、樺太と北海道、北海道と本州の間の海底パイプライン建設は技術的に問題ないと思われる。沿海州から日本海海底を経て新潟に至るルートの建設も不可能ではないだろう。また、日本国内でも首都圏・名古屋周辺・関西地区では都市ガス会社による地域ガスパイプライン網が完成しており、これらを連結するパイプラインを建設することで日本の人口の大部分が安価なパイプライン輸送の天然ガスを利用可能になると思われる。首都圏と名古屋の間のパイプライン建設については、第二東名高速道路中間分離帯等に設置し、高速道路と同時に建設することで用地取得コストを引き下げるという提案もあるようだ。これらのパイプラインの建設、電気自動車の普及などによって、日本の石油消費は暖房用灯油・ガソリン・軽油・温室農業用の重油などの分野で大幅に減少させることが可能と思われる。また、日本は工業分野で競合する韓国や台湾よりもパイプライン輸送ガスの供給で先行することにより、エネルギーコストの面で優位に立つことが可能になる。パイプラインは主に陸上に建設されるものであり、そのネットワーク形成は広大な面積を有する大陸国家のランドパワーを大きく増大させるものである。石油から天然ガスへとエネルギー源の移動が起こることは、ロシアやイラン・カザフスタン・パキスタンなどの中東~中央アジア諸国のランドパワーを増大させる。海上輸送の優位性は失われる訳ではないが、相対的に低下することになる。強大な海軍力で世界の海を支配することにより世界覇権を維持してきた米英ユダヤ連合の力もこれにより相対的に低下する。その焦りが、米国のアフガン・イラク侵略やイランへの軍事圧力、中央アジアへの軍隊派遣などの一連の行動の理由であろう。また、北方領土問題解決に反対して日露関係を悪化させることで、中国の脅威に対してロシアが米国の軍事的援助に依存するしかない状況に持ち込んでロシアを属国化したいという米国の戦略も、中東侵略と同様の焦りが原因であると思われる。今後のユーラシア地区の地域間競争を考えると、ロシアなどのガスパイプライン網を有する内陸国家と良好な関係を持ち、大陸国家と自国の間に不安定な外国を持たない、海洋に面した地域が海運やパイプライン輸送天然ガスの安いコストを武器に優位に立つと思われる。最近のインドとパキスタンの関係改善はガスパイプライン建設に関連したものであり、両国は今後の発展が期待される。一方、中国は漢民族に支配された西部の少数民族の不満が高まっている。これらの地域を経由するガスパイプラインが最近完成したばかりであるが、今後チベットやウイグル、内蒙古自治区などで分離独立を求める運動が高まるとパイプライン輸送が滞り困難な事態となるであろう。また、事態収拾のためにこれらの少数民族を独立させた後も、漢民族による弾圧への強い憎悪が継続し、現在のバルト三国やポーランドの反ロシア政策と同様の敵対的政策のため円滑なパイプライン輸送は困難となると思われる。ロシアも人口14億の中国が強大化することは望まないと考えられるので、ロシアからのガス輸出もあまり期待できないだろう。台湾も中国の沖合という地理的条件を考えると不利である。韓国は北朝鮮地域の情勢と中国を含めた東アジア情勢次第ではロシアからのガス輸出が期待できるが、日本の安全保障を考えると中国だけでなく韓国もロシアのガスパイプライン網から切り離された低開発地域に留まらせることが理想的であろう。日韓併合による文明化という恩を忘れて、捏造された従軍慰安婦強制連行問題等で日本を罵倒する主張を世界に撒き散らし続けた韓国という国に対して日本は強い罰を与える必要がある。これは、韓国・イスラエルを見せしめにして東欧諸国の反ロシア感情を抑制したいロシア、イスラエルを見せしめにして東欧諸国の反ドイツ感情を抑制したいドイツも同意すると思われる。ロシア訪問中の前原政策調査会長は5月3日にロシア側と会談し、サハリンから北海道へのガスパイプラインの建設計画について触れた。この計画については既に私が6年前に記事にしているので上記リンクをお読みいただきたい。6年前の記事との変化としては、パイプラインを本州に延伸する場合に東北地方の太平洋岸の被災地を通過することが挙げられる。これは、パイプラインを東北地方太平洋岸の海底に敷設することを意味すると思われる。陸上よりも海底の方が建設コストが安いようだ。従来の日本はロシアからの輸入を含めて天然ガスは全て液化させて船で輸入してきた。これは、米国や国際金融資本の命令で、日本はロシアからのパイプラインによるガス輸入が禁止されていたからだと思われる。米国としては日本をコントロールするために、日本の輸出入が全て海運と空運で行われるべきであり、日本周辺海域と空域を米軍が支配することで日本を完全支配するという方針であったのだと思われる。今回の前原の発言はこの米国による日本支配が終焉し、日本が独立国としてロシアと自由に取引できる状態に移行しつつあることを示している。液化天然ガスは輸出入相手国の多角化が可能だが液化・ガス化のコストが高いこと、輸送船のコストが高いことからどうしても割高になる。ロシアのガス田は日本に比較的近いのでパイプラインで輸入するのが合理的である。日本にとって、コストが安く安定供給が期待でき、供給源を多角化できる利益は非常に大きい。ロシアとしても、金持ちで絶対に支払いが滞ることの無い上客の日本とのガスパイプライン建設は極めて利益が大きい。ウクライナやベラルーシなどの貧乏国よりも日本にガスを売った方がロシアは絶対に得なのだ。中国以外のガス輸出先を東アジアに確保することで中国に対する価格交渉力を高めることもできる利益もある。このようにロシアと日本が友好関係を持つことは両国に巨大な利益をもたらす。それは米国の日本やロシアに対する影響力の低下を意味する。また、米国の次の寄生先として日本とロシアを乗っ取るという1985年以降の国際金融資本の戦略を不可能にすることになる。それ故に国際金融資本は日露友好を警戒し日本を脅迫し続けてきたのだろう。しかし、今や国際金融資本自体が滅亡しつつあり、やっと日露両国の支配階層が切望してきた日露友好が可能になりつつあるのだと思われる。パイプライン建設の次には必ずや北方領土問題の解決と宗谷海峡トンネル建設によるシベリア鉄道の日本への延伸が発表されるはずだ。2002年7月に発表された樺太の鉄道の軌間をロシア本土と同じ1520mmに統一する計画は現在工事が進められている様である。ロシア鉄道路線図に示された間宮海峡横断鉄道計画と合わせると、樺太の鉄道をシベリア鉄道に連結することが目的であると考えられる。宗谷海峡トンネル鉄道の優先順位が低いのは、日本側が現時点では計画に賛成していないことを示すのかもしれない。栢洲世策考廠では、この計画を前提として日本が宗谷海峡トンネルを建設してシベリア鉄道を日本に直結させるべきかどうかについて検討を行い、日本の在来線とロシアの鉄道を直結することは合理的でないと主張している。日本の新幹線の規格はロシアの鉄道に比較的近いと考えられるので、軌間1520mmの新貨物幹線を建設するか、あるいは新幹線を1520mmに改軌すれば同じ線路を走らせることは不可能ではなくなるかもしれない。しかし、高速の新幹線と鈍足の貨物列車を同じ線路に走らせるのはやはり無理がある。従って、もしシベリア鉄道を日本に直結するならば、ロシアの鉄道規格の新貨物路線を新たに建設するか、あるいは遠い将来にリニアモーターカーが普及して新幹線の客が減った時点で新幹線を改軌して貨物鉄道に転用するしかないであろう。いずれにしても、長大な新路線の建設が前提であり、莫大な費用が必要となる。そして、国境の通関の存在、日本海を利用した海運の安価さを考えると、コストに見合うメリットがあるかどうか疑問である。悪天候による船の欠航の影響がなくなる効果はあるだろうが、悪天候による列車の運行止めも起きうるだろう。私も栢洲世策考廠と同じく、少なくとも現時点では宗谷海峡トンネルは不要であると思う。では、ロシア政府が樺太の鉄道をシベリア鉄道に連結する計画の狙いは何だろうか?以下のような目的が想像される。1:日本政府との密約でシベリア鉄道規格の貨物輸送鉄道の日本への延伸が決まっているか、あるいは現在交渉中である。私は政府関係者ではないので論評不能。2:本土と樺太を結ぶ鉄道連絡船の費用や、樺太の鉄道が本土と規格の異なることによる余剰経費の削減。新路線建設や軌間統一の工事費用に見合うとは思えない。もし見合うなら、ソ連時代に実行されているはず。3:樺太を鉄道で本土と一体化することで、カムチャッカやマガダンなどへの海運の拠点を沿海州から樺太に移し、海運の費用を削減する。あり得るが、費用に見合うだけのメリットがあるかどうか疑問。樺太東岸は長期間結氷するのも欠点。4:樺太を鉄道で本土と一体化することで、中国軍が中露国境を越えて侵入してきた際の極東地区の住民の避難先として確保する。樺太南部のユジノサハリンスクをロシア東部地域の首都、あるいは臨時首都候補として整備する。これは最も説得力がある。ナポレオン戦争や第二次世界大戦で、ロシア軍は西方からの敵の侵入に対してどんどん東へ撤退する戦術を採った。日中戦争でも中国国民党政府は南京から奥地の重慶へと撤退した。しかし、現在のロシア極東は中露国境沿いに人口も交通網も集中しており、奥地へ撤退するための交通機関も、奥地の拠点もない。中国の脅威を考慮して、中露国境から離れた地域に拠点を置き本土と鉄道で直結するのは合理的である。最悪の場合は極東のロシア人は樺太の橋頭堡に脱出して日本の支援の元に本土奪還の機会を待つこともできる。世界主要国が核ミサイルで武装している時代に、通常兵器のみの使用を前提としたこのような昔ながらの戦術が果たしてどこまで有効なのかは私には分からない。ただ、シベリア鉄道やハバロフスク・ウラジオストク・ブラゴベシシェンスクの三都市が余りに中露国境に近いこと、冬季には河川国境は凍結して地続きになることを考えると、現在のロシア極東は通常兵器レベルでも中国軍の脅威に対して脆弱であると言える。そして、現状では中露関係は比較的良好だが、将来ダマンスキー島事件の様な軍事対立が起きないという保証は何もない。それに対しては、ハバロフスク・ウラジオストク・ブラゴベチェンスクの三都市は最前線の軍事要塞的地域とし、現在のウラジオストクの都市機能をナホトカと樺太南部に、ハバロフスクやブラゴベシシェンスクの都市機能をコムソモリスク・ナ・アムーレに移すような政策が考えられる。そして、バム鉄道が複線電化されてシベリア鉄道のメインルートとなり、現在のシベリア鉄道は北朝鮮への鉄道輸送を行うローカル線に転落することになる。ハバロフスク・ウラジオストク・ブラゴベシシェンスクの三都市は中国が全く脅威でなかった時代に国境沿いに建設された。国境沿いの方が、満州を植民地支配するのに好都合でもあったのだろう。しかしながら、中国の経済的躍進、あるいは人口の激増は今やロシア極東に対する大きな脅威となっている。この現状で、ハバロフスクやウラジオストクに更に中枢機能を集中させるのか、それとも国境から遠いコムソモリスク・ナ・アムーレ、ナホトカ、樺太南部などに中枢機能を移すのか?その答えは恐らく数年以内に分かるはずである。【3月23日追記】ロシアの海底トンネルのイラストを見ると、バム鉄道から間宮海峡トンネル、樺太、宗谷海峡トンネル、北海道、青函トンネルを経て本州の日本海側に路線が延びている。これは想像だが、将来北陸新幹線や北海道新幹線が完成することを前提として、乗客が激減する並行在来線等を1067mmと1520mmの三線軌道にしてロシア規格の貨物列車を日本海縦貫線に直通運転させる計画なのかもしれない。宇都宮以北の東北本線も仙台近辺以外は閑古鳥が鳴いており、三線軌道化の候補になり得るかもしれない。青函トンネルについては、1067mmと1435mmと1520mmの四線軌道にできればベストだろう。小泉元首相の秘書官であった飯島勲氏がシベリア鉄道の北海道延伸計画について触れている。彼はプーチンロシア首相・次期大統領にこの計画の了承を取っているという。むろん、これは北海道から青函トンネルを経由して本州までシベリア鉄道が延伸されることを意味すると思われる。シベリア鉄道の日本延伸計画については以前からこのブログで詳しく述べてきた。旧ソ連の1520mm軌間の鉄道網に日本の工業力が直結されることは双方にとって利益が非常に大きい。同様の計画が欧州でも進行中であり、オーストリアの首都ウィーンの郊外スロバキア共和国の首都ブラチスラバまでの延伸計画がある。欧州の1435mm軌間の鉄道と旧ソ連の1520mm軌間の鉄道の間では車両の直通は不可能で、台車の交換または荷物の積み替えが必要だった。これは輸送の時間とコストを増大させる。広大なロシアの鉄道網に欧州と日本が直結されることで、ロシアは世界覇権国の一員になる。19世紀末のロンドンを本拠とする国際金融資本は、鉄道の発達でドイツやロシアなどの東欧内陸諸国が発展し世界覇権を奪取することを非常に恐れた。その恐れを率直に述べたのが地政学者マッキンダーの「東欧を制する者がハートランドを制し、ハートランドを制する者が世界島を制し、世界島を制する者が世界を制する」という言葉である。彼らはロシアやドイツを封じ込めるために、米国の国債金融資本と協力して1913年にFRBを設立して米国政府を乗っ取り、ロシアに居住するハザール系ユダヤ人と協力して1917年にロシア革命を起こしてロシアを乗っ取った。そして、アメリカとソ連の二極を支配することで間に位置する日本とドイツを押しつぶして世界支配を成し遂げたのだ。この世界支配の間、米国は日本を大陸から切り離すことを強く要求してきた。第二次大戦前には日本の中国や満州からの撤退を要求してハルノートを日本に突きつけた。日本の敗戦後は日本とソ連の関係改善を妨害し続け、北方領土2島返還での日ソ平和条約を「沖縄を返還しないぞ」と恫喝することで諦めさせた。ソ連・ロシアからの石油・天然ガスのパイプラインでの輸入は容認されず、米国海軍が支配する海路での輸入のみが認められてきた。日本をロシアから切り離して両国の発展を妨害することが国際金融資本の基本方針であったのだ。シベリア鉄道の日本延伸計画は、日本が国際金融資本の支配から独立することを意味する。北方領土問題は解決され、安価で安定供給可能なパイプラインを通じてロシアの天然ガスと石油が日本に供給されることになる。ロシアのパイプラインが中東に延長されることで、日本は中東の石油と天然ガスに海路とパイプラインの両方からアクセスできることになる。また、シベリア鉄道の貨物輸送を通じて欧州に高速で貨物を輸送できる利益も、シベリアの鉱物資源を輸入できる利益も非常に大きい。ロシアにとっても日本との関係改善と貿易増加は巨大な利益である。国際金融資本の世界覇権崩壊後の世界は、技術力に優れ製造業を有する日独両国が、鉄道網・パイプライン網と資源と軍備を有するロシアと組んで世界覇権を握ることになる。米国の海軍力は日独が買い叩いて傭兵として用いるのが良いだろう。モンゴル国で1,600キロメートルにおよぶ貨物鉄道建設計画に係る業務を受注 日本工営株式会社モンゴル国で1,600キロメートルにおよぶ貨物鉄道建設計画に係る業務を受注(2013年7月4日)日本工営株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:廣瀬典昭)は、5月14日、国営モンゴル鉄道と石炭輸送用貨物鉄道の建設計画に係るコンサルタント業務契約を締結しました。受注した業務は、モンゴル国が国家政策として実現に注力する全国の鉄道路線整備計画のうち1,600キロメートル区間を対象とするものです。当社は締結した契約に基づき、同国が事前に実施している測量調査・土質調査・環境調査のレビュー、概略設計、顧客が実施するコントラクター入札手続きの支援を行います。業務の契約期間は、2013年5月から2014年7月までの15ヶ月間で、契約金額は約17億円です。受注業務で対象とする路線は、モンゴル中南部に位置する世界最大級の埋蔵量を有するとされるタバントルゴイ炭田で産出される石炭を、国境を接するロシアの既存路線との連結を通じて輸出拠点となる港湾へ輸送するための貨物鉄道です。タバントルゴイ炭田~モンゴル北東部のフートを経て既存鉄道の始点駅チョイバルサン間およびフート~中国国境ビチクト間の路線新設、ならびにチョイバルサン~ロシア国境エレンツェブに走る既存路線の改良を行うものです。総事業費は52億ドルと試算されています。モンゴル国は世界最大級の石炭鉱山や銅金鉱山などを有し、鉱物資源を主な輸出品目としていますが、そのほとんどを中国向けとしていることから輸出先の多様化を課題としています。計画される貨物鉄道網の実現は、モンゴル国のエネルギー政策上の課題解決に重要な役割を果たすことが期待されます。また、原子力発電所の停止に伴って安価なエネルギー資源を安定的に確保するという課題を抱える我が国にとっても、同国で産出された石炭を安定的に供給する輸送路となることが期待されるものです。日蒙両国のエネルギー政策における課題解決に寄与する意義の大きな本事業に対し、当社は誠意をもって臨むとともに、これまでに蓄積してきた鉄道事業に係る技術を生かし両国の豊かさの実現に貢献すべく力を尽くします。昨夜のNHKニュースで日本企業がモンゴルの鉄道建設を受注したことが報道されていた。現在中国向けに輸出している石炭などの資源をロシア経由で日本や南朝鮮などに輸出する計画とのことだった。軌間1435mmの標準軌の中国と異なりモンゴルの軌間はロシアと同一の1520mmであり、ロシアの鉄道網に直結することになるだろう(中国への輸送は積み替えか貨車の台車変更が必要で時間もコストもかかる)。ネットで調べると日本工営という会社らしい。HPに書かれた鉄道建設計画が実に興味深い。モンゴル南部のゴビ砂漠を東西に走る長大な鉄道路線(以下、本線と呼ぶ)とそこから分岐して中国やロシアに向かう支線に分かれている。中国やロシアに向かう支線は満州・内モンゴル・新疆ウイグル自治区・トゥーバ共和国・アルタイ共和国に向かっており、これらの少数民族地域(モンゴルと同じツラン系)が独立したり中央政府に対する高い自治権を獲得した場合には、満州を経て大連港や北朝鮮の港湾を利用するか、あるいはアルタイ共和国or新疆ウイグル自治区を経てカザフスタン経由でトルコに向かうか、更には内モンゴル・チベット経由でインドに向かう等の鉄道網に発展可能である。日本からユーラシア西部に向かう鉄道はロシアのシベリア鉄道(バム鉄道含む)と、中国からカザフスタンを経由する鉄道がある。満州からモンゴル経由でカザフスタンに向かう鉄道は中国とロシアのいずれも通過しない第三のルートとして非常に貴重であり、今後日本が中国やロシアとの関係が悪化した場合に備えて是非確保しておきたい路線だ。このルートは遊牧民族が利用した草原の道に一致しており、関岡英之が「帝国陸軍見果てぬ防共回廊」で示したモンゴルからトルコに至る回廊地帯にも一致する。中露両国に挟まれたモンゴルは満州やトルコ系中央アジア諸国と協力して東西交通の大動脈の地位に返り咲くことが可能になるのだ。1月5日のニュースではサハリンから首都圏に至る天然ガスパイプライン建設計画が取り上げられている。従来の日本は米軍による輸送ルート遮断の脅迫のためパイプライン建設が不可能で短距離でもLNGで輸入してきた。ロシアの天然ガスパイプラインやシベリア鉄道の日本への延伸は日本を大陸のランドパワーにアクセス可能にすることで、ランドパワーの時代となる21世紀の日本の発展の助けになるだろう。ロシアに対する交渉力確保の観点から、できればカザフスタンからモンゴル・満州・統一朝鮮経由で日本に至る鉄道(軌間1520mmで積み替えなし)や天然ガスパイプラインも建設しておきたい所だ。ミャンマーの野党党首のアウン・サン・スー・チー氏をモンゴル訪問から帰国する際に、ヤンゴン国際空港で多くの支持者が出迎えた。彼女の便は深夜到着だったため、出迎えする人が多くないだろうと思われていたが実際には熱烈な支持者の歓迎を受けた。国民民主連盟副会長のKhin Saw Mu氏は「彼女は外国訪問をする度に、ミャンマーに多大な恩恵をもたらしている」と述べていた。スー・チー氏はエルベグドルジ大統領の招待で、第7回民主主義共同体閣僚級会合に出席するためにモンゴルで1週間滞在したのである。モンゴルではエルベグドルジ大統領と会談し、国会議事堂において共同で講演したりもした。2009年にモンゴル政府とリオ・ティントの間に結ばれた合意書によりモンゴルへの投資が急増したのと同様に、2011年から2012年にかけてのクリントン前国務長官とオバマ大統領のミャンマー訪問は「ミャンマーブーム」の幕開けとなった。近年、モンゴルとミャンマーは共に“フロンティア市場の象徴”になっている。ここでは、両国を比較しながら、投資家にとって重要だと思われる情報を共有したいと思う。ロシアと日本を直結するガスパイプラインの建設が始まろうとしている。日本国内では既に最大の消費地の首都圏から新潟までのパイプラインは完成しており、むつ小川原とこれらの地域の間を結ぶパイプラインを建設することは日本にとってもロシアにとっても大きな利益となる。ロシアはトルコ・ウクライナなどの中進国が西欧と同じ価格ではガスを購入できずに価格を値切ることに腹を立てており、アジアで安定的に高値でガスを購入してくれるであろう唯一の先進国である日本に直接ガスを売りたがっている。中国や韓国と比較して、日本の市場としての安定性は圧倒的だからだ。また、将来シベリアのガスパイプラインが建設されてロシアが欧州にもアジアにも自由にガスを輸出できる状態になることは、ロシアのランドパワーとしての力を圧倒的に高めることになる。北方領土問題の解決で日露関係が改善することが如何にロシアの国力を劇的に増大させるかということがよく分かる。これこそ、米国が北方領土問題の解決に強硬に反対していた最大の理由である。「Siberian Curse」には、「ロシアはシベリアの発展のために中国と安定した経済関係を築く必要があり、その為には米国の軍事的プレゼンスが必要」という内容のことが書いてあるが、これはつまりロシアを現在の日本のような米国の属国にして、中国の脅威から守って貰うために米国の言いなりになる状態にしたいという米国の戦略を示したものである。しかしながら米国は属国を脅迫して金を奪うしか取り柄のない三流国家に成り下がりつつあり、それを見越したロシアは米国を一蹴して日本との関係強化を望んだということであろう。ロシアは表向きは米国の侵略に抵抗するために中国との親密な関係を演出しているが、実際には極東地区の住民を中心に中国の脅威に怯える悲鳴が上がっている。愚かな中国の人民はロシアに向かって「ウラジオストクやハバロフスクは中国のものであり奪還する」と豪語したり、シベリアの資源に露骨な関心を示したりしてロシア人の恐怖心を煽ってきた。実に愚かな外交であったと言わざるを得ない。小渕政権以後の日本の首相の中国に対する毅然とした姿勢は、中国の脅威に怯えるロシア極東の住民にとって非常に頼もしいものであったと思われる。今や米国の世界覇権消失とともに日露平和条約が締結されようとしており、日露友好を基盤とした日本とロシアの輝かしい未来が始まろうとしている。第二次大戦後に一世紀に渡る戦争の歴史を終えて固い同盟を結んだ独仏両国が欧州を政治的・経済的に事実上支配しているように、冷戦後に一世紀以上に渡る戦争と対立の歴史を終えて日露が同盟を結ぶならば、それはアジアを政治的・経済的に支配するものとなるだろう。ピークオイルという言葉が示すように、世界の石油生産は既に頂点を過ぎて徐々に減少し始めている。今後の世界のエネルギーは、石油に比べ残存埋蔵量が多く、石油ほどは中東地区に偏在していない天然ガスと石炭に切り替わっていくことだろう。液体・固体で輸送が容易な石油・石炭と異なり、天然ガスは気体である点が輸送を困難にする。海上輸送はLNGの形で行われるが、液化の際に膨大なエネルギーを必要とし、更に液化・気化の設備投資のコスト、高価な輸送船も必要である。これと比べると、パイプラインでの輸送は気体のまま輸送できるし、陸上パイプラインの場合は沿線地域でも利用可能である利点がある。海底パイプラインも、既に黒海を経てロシアかトルコに至るブルーストリームパイプラインが順調に運営されており、樺太と北海道、北海道と本州の間の海底パイプライン建設は技術的に問題ないと思われる。沿海州から日本海海底を経て新潟に至るルートの建設も不可能ではないだろう。また、日本国内でも首都圏・名古屋周辺・関西地区では都市ガス会社による地域ガスパイプライン網が完成しており、これらを連結するパイプラインを建設することで日本の人口の大部分が安価なパイプライン輸送の天然ガスを利用可能になると思われる。首都圏と名古屋の間のパイプライン建設については、第二東名高速道路中間分離帯等に設置し、高速道路と同時に建設することで用地取得コストを引き下げるという提案もあるようだ。これらのパイプラインの建設、電気自動車の普及などによって、日本の石油消費は暖房用灯油・ガソリン・軽油・温室農業用の重油などの分野で大幅に減少させることが可能と思われる。また、日本は工業分野で競合する韓国や台湾よりもパイプライン輸送ガスの供給で先行することにより、エネルギーコストの面で優位に立つことが可能になる。パイプラインは主に陸上に建設されるものであり、そのネットワーク形成は広大な面積を有する大陸国家のランドパワーを大きく増大させるものである。何でそんな妙な事をするかその意味が私には呑のみ込めなかったのです。理由わけを考え出そうとしても、考え出せない私は、罪を女という一字に塗なすり付けて我慢した事もありました。必竟ひっきょう女だからああなのだ、女というものはどうせ愚ぐなものだ。私の考えは行き詰つまればいつでもここへ落ちて来ました。それほど女を見縊みくびっていた私が、またどうしてもお嬢さんを見縊る事ができなかったのです。私の理屈はその人の前に全く用を為なさないほど動きませんでした。私はその人に対して、ほとんど信仰に近い愛をもっていたのです。私が宗教だけに用いるこの言葉を、若い女に応用するのを見て、あなたは変に思うかも知れませんが、私は今でも固く信じているのです。本当の愛は宗教心とそう違ったものでないという事を固く信じているのです。私はお嬢さんの顔を見るたびに、自分が美しくなるような心持がしました。お嬢さんの事を考えると、気高けだかい気分がすぐ自分に乗り移って来るように思いました。もし愛という不可思議なものに両端りょうはじがあって、その高い端はじには神聖な感じが働いて、低い端には性欲せいよくが動いているとすれば、私の愛はたしかにその高い極点を捕つらまえたものです。私はもとより人間として肉を離れる事のできない身体からだでした。けれどもお嬢さんを見る私の眼や、お嬢さんを考える私の心は、全く肉の臭においを帯びていませんでした。私は母に対して反感を抱いだくと共に、子に対して恋愛の度を増まして行ったのですから、三人の関係は、下宿した始めよりは段々複雑になって来ました。もっともその変化はほとんど内面的で外へは現れて来なかったのです。そのうち私はあるひょっとした機会から、今まで奥さんを誤解していたのではなかろうかという気になりました。奥さんの私に対する矛盾した態度が、どっちも偽りではないのだろうと考え直して来たのです。その上、それが互たがい違ちがいに奥さんの心を支配するのでなくって、いつでも両方が同時に奥さんの胸に存在しているのだと思うようになったのです。つまり奥さんができるだけお嬢さんを私に接近させようとしていながら、同時に私に警戒を加えているのは矛盾のようだけれども、その警戒を加える時に、片方の態度を忘れるのでも翻すのでも何でもなく、やはり依然として二人を接近させたがっていたのだと観察したのです。ただ自分が正当と認める程度以上に、二人が密着するのを忌いむのだと解釈したのです。お嬢さんに対して、肉の方面から近づく念の萌きざさなかった私は、その時入いらぬ心配だと思いました。しかし奥さんを悪く思う気はそれからなくなりました。「私は奥さんの態度を色々綜合そうごうして見て、私がここの家うちで充分信用されている事を確かめました。しかもその信用は初対面の時からあったのだという証拠さえ発見しました。他ひとを疑うたぐり始めた私の胸には、この発見が少し奇異なくらいに響いたのです。私は男に比べると女の方がそれだけ直覚に富んでいるのだろうと思いました。同時に、女が男のために、欺だまされるのもここにあるのではなかろうかと思いました。奥さんをそう観察する私が、お嬢さんに対して同じような直覚を強く働かせていたのだから、今考えるとおかしいのです。私は他ひとを信じないと心に誓いながら、絶対にお嬢さんを信じていたのですから。それでいて、私を信じている奥さんを奇異に思ったのですから。私は郷里の事について余り多くを語らなかったのです。ことに今度の事件については何もいわなかったのです。私はそれを念頭に浮べてさえすでに一種の不愉快を感じました。私はなるべく奥さんの方の話だけを聞こうと力つとめました。ところがそれでは向うが承知しません。何かに付けて、私の国元の事情を知りたがるのです。私はとうとう何もかも話してしまいました。私は二度と国へは帰らない。帰っても何にもない、あるのはただ父と母の墓ばかりだと告げた時、奥さんは大変感動したらしい様子を見せました。お嬢さんは泣きました。私は話して好いい事をしたと思いました。私は嬉うれしかったのです。私のすべてを聞いた奥さんは、はたして自分の直覚が的中したといわないばかりの顔をし出しました。それからは私を自分の親戚みよりに当る若いものか何かを取り扱うように待遇するのです。私は腹も立ちませんでした。むしろ愉快に感じたくらいです。ところがそのうちに私の猜疑心さいぎしんがまた起って来ました。私が奥さんを疑うたぐり始めたのは、ごく些細ささいな事からでした。しかしその些細な事を重ねて行くうちに、疑惑は段々と根を張って来ます。私はどういう拍子かふと奥さんが、叔父おじと同じような意味で、お嬢さんを私に接近させようと力つとめるのではないかと考え出したのです。すると今まで親切に見えた人が、急に狡猾こうかつな策略家として私の眼に映じて来たのです。私は苦々にがにがしい唇を噛かみました。奥さんは最初から、無人ぶにんで淋さむしいから、客を置いて世話をするのだと公言していました。私もそれを嘘うそとは思いませんでした。懇意になって色々打ち明け話を聞いた後あとでも、そこに間違まちがいはなかったように思われます。しかし一般の経済状態は大して豊ゆたかだというほどではありませんでした。利害問題から考えてみて、私と特殊の関係をつけるのは、先方に取って決して損ではなかったのです。私はまた警戒を加えました。けれども娘に対して前いったくらいの強い愛をもっている私が、その母に対していくら警戒を加えたって何になるでしょう。私は一人で自分を嘲笑ちょうしょうしました。馬鹿だなといって、自分を罵ののしった事もあります。しかしそれだけの矛盾ならいくら馬鹿でも私は大した苦痛も感ぜずに済んだのです。私の煩悶はんもんは、奥さんと同じようにお嬢さんも策略家ではなかろうかという疑問に会って始めて起るのです。二人が私の背後で打ち合せをした上、万事をやっているのだろうと思うと、私は急に苦しくって堪たまらなくなるのです。不愉快なのではありません。絶体絶命のような行き詰まった心持になるのです。それでいて私は、一方にお嬢さんを固く信じて疑わなかったのです。だから私は信念と迷いの途中に立って、少しも動く事ができなくなってしまいました。私にはどっちも想像であり、またどっちも真実であったのです。「私は相変らず学校へ出席していました。しかし教壇に立つ人の講義が、遠くの方で聞こえるような心持がしました。勉強もその通りでした。眼の中へはいる活字は心の底まで浸しみ渡らないうちに烟けむのごとく消えて行くのです。私はその上無口になりました。それを二、三の友達が誤解して、冥想めいそうに耽ふけってでもいるかのように、他たの友達に伝えました。私はこの誤解を解こうとはしませんでした。都合の好いい仮面を人が貸してくれたのを、かえって仕合しあわせとして喜びました。それでも時々は気が済まなかったのでしょう、発作的に焦燥はしゃぎ廻まわって彼らを驚かした事もあります。私の宿は人出入ひとでいりの少ない家うちでした。親類も多くはないようでした。お嬢さんの学校友達がときたま遊びに来る事はありましたが、極きわめて小さな声で、いるのだかいないのだか分らないような話をして帰ってしまうのが常でした。それが私に対する遠慮からだとは、いかな私にも気が付きませんでした。私の所へ訪ねて来るものは、大した乱暴者でもありませんでしたけれども、宅うちの人に気兼きがねをするほどな男は一人もなかったのですから。そんなところになると、下宿人の私は主人あるじのようなもので、肝心かんじんのお嬢さんがかえって食客いそうろうの位地いちにいたと同じ事です。しかしこれはただ思い出したついでに書いただけで、実はどうでも構わない点です。ただそこにどうでもよくない事が一つあったのです。茶の間か、さもなければお嬢さんの室へやで、突然男の声が聞こえるのです。その声がまた私の客と違って、すこぶる低いのです。だから何を話しているのかまるで分らないのです。そうして分らなければ分らないほど、私の神経に一種の昂奮こうふんを与えるのです。私は坐すわっていて変にいらいらし出します。私はあれは親類なのだろうか、それともただの知り合いなのだろうかとまず考えて見るのです。それから若い男だろうか年輩の人だろうかと思案してみるのです。坐っていてそんな事の知れようはずがありません。そうかといって、起たって行って障子しょうじを開けて見る訳にはなおいきません。私の神経は震えるというよりも、大きな波動を打って私を苦しめます。私は客の帰った後で、きっと忘れずにその人の名を聞きました。お嬢さんや奥さんの返事は、また極めて簡単でした。私は物足りない顔を二人に見せながら、物足りるまで追窮ついきゅうする勇気をもっていなかったのです。権利は無論もっていなかったのでしょう。私は自分の品格を重んじなければならないという教育から来た自尊心と、現にその自尊心を裏切うらぎりしている物欲しそうな顔付かおつきとを同時に彼らの前に示すのです。彼らは笑いました。それが嘲笑ちょうしょうの意味でなくって、好意から来たものか、また好意らしく見せるつもりなのか、私は即坐に解釈の余地を見出みいだし得ないほど落付おちつきを失ってしまうのです。そうして事が済んだ後で、いつまでも、馬鹿にされたのだ、馬鹿にされたんじゃなかろうかと、何遍なんべんも心のうちで繰り返すのです。私は自由な身体からだでした。たとい学校を中途で已やめようが、またどこへ行ってどう暮らそうが、あるいはどこの何者と結婚しようが、誰だれとも相談する必要のない位地に立っていました。私は思い切って奥さんにお嬢さんを貰もらい受ける話をして見ようかという決心をした事がそれまでに何度となくありました。けれどもそのたびごとに私は躊躇ちゅうちょして、口へはとうとう出さずにしまったのです。断られるのが恐ろしいからではありません。もし断られたら、私の運命がどう変化するか分りませんけれども、その代り今までとは方角の違った場所に立って、新しい世の中を見渡す便宜も生じて来るのですから、そのくらいの勇気は出せば出せたのです。しかし私は誘おびき寄せられるのが厭いやでした。他ひとの手に乗るのは何よりも業腹ごうはらでした。叔父おじに欺だまされた私は、これから先どんな事があっても、人には詐欺られまいと馬鹿なりに決心したのです。しかし駄目でしょう。あなたの頭の馬鹿細胞をすべて入れ替えても無理な話です。馬鹿は死んでも直らにゃ~い。と言う事、、! 馬鹿はまた馬鹿で生まれ出る運命なのです。輪廻転生と言うやつですね。 「 信じるか、信じないかは・・・ あ・な・た 次・第・です!! 」ははwww
  • 2017/01/20 15:37:23返信

    なんだこれは?百裂肉球喰らったか?
  • 2017/01/20 15:37:56返信

    世の中には上手い話しは無いのです。そこで悪い白豚が仕組む豚足レースがあります。そのうち半分ぐらいは馬鹿猿に人気の上位に嵌められた闘牛車が馬鹿を競い合います。ですからよくレースを吟味して固く決まりそうなレースだけに絞って、馬鹿に人気上位の当たり券を嵌めれば楽でしょう。ただし、固く決まりそうなレースが必ず発生するわけではありませんからよく注意してください」というものでした。たしかに言われりゃそのとおりなのですが、これは一般的な11月のマカオグランプリレースの勝率の理論はタコ知識であってわざわざ金を取って人に教えるものではないと思います。ビジネス書籍でもそうですが「言われて初めて気がついた」と言う常識があります。目から鱗なこの手の書籍はそれでも結構な書籍の値段がしますね。たぶん、本屋に行けばその手の書籍はごろごろしてますよ?立ち読みでも済んだことでしょうが表紙にだまされて衝動買いしたと言えますね。メール配信してくれる分、手間はかからない?と言うところでしょう。ちなみに実践したんですか?意外と的を得ているかも知れないですよ。昔、会社として「気象、出走馬のコンディションと特徴、レース場の状況」などのデータから長年の経験をもとにしたパソコンで勝率計算を行い、多額の投票券を購入し、倍率を調整して多額の配当金を得ていた組織がありました。確か数年にわたり何十億と荒稼ぎしましたが脱税で国外逃亡しました。出来るならこれに近いことをすれば稼げますよ。でも、普通の人はやらないと思いますけど。みんな知っていることをやるかやらないかはその人の自由ですし、実際多くの人が面倒だからやらないのでしょ?パチンコなどの必勝法も機械のバグをついていることがあり、メーカーが対応する数カ月の間であれば荒稼ぎ出来たということもあるようです。この場合は儲けを出した人もいるという話です。国民生活センターもお役所仕事なのはその通りで「法律上の抜け穴」を突かれると何とも対応できません。だから前もって「過去にこのような詐欺やトラブルが横行しています。気をつけて下さいね」と警告もしています。それは見ましたか?そうでない場合は「立ち入り禁止の警告」を見ないで危険箇所に踏み込んでけがをして行政が悪いと言っているのとたいして変わりませんよ。お金を「取り戻せるか」はわかりませんが民事裁判をすることはできますよ。ただし、お金はかかります。その費用を抑えるなら弁護士に5000円ぐらいで法律相談だけして自分で少額訴訟を起こします。ただし、費用と手間を考えると損ですね。会員の中でも特別であるコースに抽選の結果当選したなどとメールがきます。 特別コースは、高確率の的中など内容が破格なので一見魅力的に映ります。 しかし、実績などは一部あるいは全て架空なので入る意味がないコースなのです。 情報料も高額なケースが多く気を付ける必要があります。まず、一般や特別など複数のコースがある時点で、その会社は悪徳業者の可能性が強まってきます。 なぜ、いちいちコースが複数あるのでしょうか? コースが一つだと的中レースの捏造がやりにくい為です。 会員のいないコースを用意しておけば、何でもありの捏造がやりたい実績を偽れるわけです。 複数のコースがない予想会社は、真面目な運営がなされている予想会社であることの一つの条件と言えるかも知れません。「一口ひとくちでいうと、叔父は私わたくしの財産を胡魔化ごまかしたのです。事は私が東京へ出ている三年の間に容易たやすく行われたのです。すべてを叔父任まかせにして平気でいた私は、世間的にいえば本当の馬鹿でした。世間的以上の見地から評すれば、あるいは純なる尊たっとい男とでもいえましょうか。私はその時の己おのれを顧みて、なぜもっと人が悪く生れて来なかったかと思うと、正直過ぎた自分が口惜くやしくって堪たまりません。しかしまたどうかして、もう一度ああいう生れたままの姿に立ち帰って生きて見たいという心持も起るのです。記憶して下さい、あなたの知っている私は塵ちりに汚れた後あとの私です。きたなくなった年数の多いものを先輩と呼ぶならば、私はたしかにあなたより先輩でしょう。もし私が叔父の希望通り叔父の娘と結婚したならば、その結果は物質的に私に取って有利なものでしたろうか。これは考えるまでもない事と思います。叔父おじは策略で娘を私に押し付けようとしたのです。好意的に両家の便宜を計るというよりも、ずっと下卑げびた利害心に駆られて、結婚問題を私に向けたのです。私は従妹いとこを愛していないだけで、嫌ってはいなかったのですが、後から考えてみると、それを断ったのが私には多少の愉快になると思います。胡魔化ごまかされるのはどっちにしても同じでしょうけれども、載のせられ方からいえば、従妹を貰もらわない方が、向うの思い通りにならないという点から見て、少しは私の我がが通った事になるのですから。しかしそれはほとんど問題とするに足りない些細ささいな事柄です。ことに関係のないあなたにいわせたら、さぞ馬鹿気ばかげた意地に見えるでしょう。私と叔父の間に他たの親戚しんせきのものがはいりました。その親戚のものも私はまるで信用していませんでした。信用しないばかりでなく、むしろ敵視していました。私は叔父が私を欺あざむいたと覚さとると共に、他ほかのものも必ず自分を欺くに違いないと思い詰めました。父があれだけ賞ほめ抜いていた叔父ですらこうだから、他のものはというのが私の論理ロジックでした。それでも彼らは私のために、私の所有にかかる一切いっさいのものを纏まとめてくれました。それは金額に見積ると、私の予期より遥はるかに少ないものでした。私としては黙ってそれを受け取るか、でなければ叔父を相手取って公沙汰おおやけざたにするか、二つの方法しかなかったのです。私は憤いきどおりました。また迷いました。訴訟にすると落着らくちゃくまでに長い時間のかかる事も恐れました。私は修業中のからだですから、学生として大切な時間を奪われるのは非常の苦痛だとも考えました。私は思案の結果、市しにおる中学の旧友に頼んで、私の受け取ったものを、すべて金の形かたちに変えようとしました。旧友は止よした方が得だといって忠告してくれましたが、私は聞きませんでした。私は永く故郷こきょうを離れる決心をその時に起したのです。叔父の顔を見まいと心のうちで誓ったのです。私は国を立つ前に、また父と母の墓へ参りました。私はそれぎりその墓を見た事がありません。もう永久に見る機会も来ないでしょう。私の旧友は私の言葉通りに取り計らってくれました。もっともそれは私が東京へ着いてからよほど経たった後のちの事です。田舎いなかで畠地はたちなどを売ろうとしたって容易には売れませんし、いざとなると足元を見て踏み倒される恐れがあるので、私の受け取った金額は、時価に比べるとよほど少ないものでした。自白すると、私の財産は自分が懐ふところにして家を出た若干の公債と、後あとからこの友人に送ってもらった金だけなのです。親の遺産としては固もとより非常に減っていたに相違ありません。しかも私が積極的に減らしたのでないから、なお心持が悪かったのです。けれども学生として生活するにはそれで充分以上でした。実をいうと私はそれから出る利子の半分も使えませんでした。この余裕ある私の学生生活が私を思いも寄らない境遇に陥おとし入れたのです。「金に不自由のない私わたくしは、騒々そうぞうしい下宿を出て、新しく一戸を構えてみようかという気になったのです。しかしそれには世帯道具を買う面倒もありますし、世話をしてくれる婆ばあさんの必要も起りますし、その婆さんがまた正直でなければ困るし、宅うちを留守にしても大丈夫なものでなければ心配だし、といった訳で、ちょくらちょいと実行する事は覚束おぼつかなく見えたのです。ある日私はまあ宅うちだけでも探してみようかというそぞろ心ごころから、散歩がてらに本郷台ほんごうだいを西へ下りて小石川こいしかわの坂を真直まっすぐに伝通院でんずういんの方へ上がりました。電車の通路になってから、あそこいらの様子がまるで違ってしまいましたが、その頃ころは左手が砲兵工廠ほうへいこうしょうの土塀どべいで、右は原とも丘ともつかない空地くうちに草が一面に生えていたものです。私はその草の中に立って、何心なにごころなく向うの崖がけを眺ながめました。今でも悪い景色ではありませんが、その頃はまたずっとあの西側の趣おもむきが違っていました。見渡す限り緑が一面に深く茂っているだけでも、神経が休まります。私はふとここいらに適当な宅うちはないだろうかと思いました。それで直すぐ草原くさはらを横切って、細い通りを北の方へ進んで行きました。いまだに好いい町になり切れないで、がたぴししているあの辺へんの家並いえなみは、その時分の事ですからずいぶん汚ならしいものでした。私は露次ろじを抜けたり、横丁よこちょうを曲まがったり、ぐるぐる歩き廻まわりました。しまいに駄菓子屋だがしやの上かみさんに、ここいらに小ぢんまりした貸家かしやはないかと尋ねてみました。上さんは「そうですね」といって、少時しばらく首をかしげていましたが、「かし家やはちょいと」と全く思い当らない風ふうでした。私は望のぞみのないものと諦あきらめて帰り掛けました。すると上さんがまた、「素人下宿しろうとげしゅくじゃいけませんか」と聞くのです。私はちょっと気が変りました。静かな素人屋しろうとやに一人で下宿しているのは、かえって家うちを持つ面倒がなくって結構だろうと考え出したのです。それからその駄菓子屋の店に腰を掛けて、上さんに詳しい事を教えてもらいました。それはある軍人の家族、というよりもむしろ遺族、の住んでいる家でした。主人は何でも日清にっしん戦争の時か何かに死んだのだと上さんがいいました。一年ばかり前までは、市ヶ谷いちがやの士官しかん学校の傍そばとかに住んでいたのだが、厩うまやなどがあって、邸やしきが広過ぎるので、そこを売り払って、ここへ引っ越して来たけれども、無人ぶにんで淋さむしくって困るから相当の人があったら世話をしてくれと頼まれていたのだそうです。私は上さんから、その家には未亡人びぼうじんと一人娘と下女げじょより外ほかにいないのだという事を確かめました。私は閑静で至極しごく好かろうと心の中うちに思いました。けれどもそんな家族のうちに、私のようなものが、突然行ったところで、素性すじょうの知れない書生さんという名称のもとに、すぐ拒絶されはしまいかという掛念けねんもありました。私は止よそうかとも考えました。しかし私は書生としてそんなに見苦しい服装なりはしていませんでした。それから大学の制帽を被かぶっていました。あなたは笑うでしょう、大学の制帽がどうしたんだといって。けれどもその頃の大学生は今と違って、大分だいぶ世間に信用のあったものです。私はその場合この四角な帽子に一種の自信を見出みいだしたくらいです。そうして駄菓子屋の上さんに教わった通り、紹介も何もなしにその軍人の遺族の家うちを訪ねました。私は未亡人びぼうじんに会って来意らいいを告げました。未亡人は私の身元やら学校やら専門やらについて色々質問しました。そうしてこれなら大丈夫だというところをどこかに握ったのでしょう、いつでも引っ越して来て差支さしつかえないという挨拶あいさつを即坐そくざに与えてくれました。未亡人は正しい人でした、また判然はっきりした人でした。私は軍人の妻君さいくんというものはみんなこんなものかと思って感服しました。感服もしたが、驚きもしました。この気性きしょうでどこが淋さむしいのだろうと疑いもしました。「私は早速さっそくその家へ引き移りました。私は最初来た時に未亡人と話をした座敷を借りたのです。そこは宅中うちじゅうで一番好いい室へやでした。本郷辺ほんごうへんに高等下宿といった風ふうの家がぽつぽつ建てられた時分の事ですから、私は書生として占領し得る最も好い間まの様子を心得ていました。私の新しく主人となった室は、それらよりもずっと立派でした。移った当座は、学生としての私には過ぎるくらいに思われたのです。室の広さは八畳でした。床とこの横に違ちがい棚だながあって、縁えんと反対の側には一間いっけんの押入おしいれが付いていました。窓は一つもなかったのですが、その代り南向みなみむきの縁に明るい日がよく差しました。私は移った日に、その室の床とこに活いけられた花と、その横に立て懸かけられた琴ことを見ました。どっちも私の気に入りませんでした。私は詩や書や煎茶せんちゃを嗜たしなむ父の傍そばで育ったので、唐からめいた趣味を小供こどものうちからもっていました。そのためでもありましょうか、こういう艶なまめかしい装飾をいつの間にか軽蔑けいべつする癖が付いていたのです。私の父が存生中ぞんしょうちゅうにあつめた道具類は、例の叔父おじのために滅茶滅茶めちゃめちゃにされてしまったのですが、それでも多少は残っていました。私は国を立つ時それを中学の旧友に預かってもらいました。それからその中うちで面白そうなものを四、五幅ふく裸にして行李こうりの底へ入れて来ました。私は移るや否いなや、それを取り出して床へ懸けて楽しむつもりでいたのです。ところが今いった琴と活花いけばなを見たので、急に勇気がなくなってしまいました。後あとから聞いて始めてこの花が私に対するご馳走ちそうに活けられたのだという事を知った時、私は心のうちで苦笑しました。もっとも琴は前からそこにあったのですから、これは置き所がないため、やむをえずそのままに立て懸けてあったのでしょう。こんな話をすると、自然その裏に若い女の影があなたの頭を掠かすめて通るでしょう。移った私にも、移らない初めからそういう好奇心がすでに動いていたのです。こうした邪気じゃきが予備的に私の自然を損なったためか、または私がまだ人慣ひとなれなかったためか、私は始めてそこのお嬢じょうさんに会った時、へどもどした挨拶あいさつをしました。その代りお嬢さんの方でも赤い顔をしました。私はそれまで未亡人びぼうじんの風采ふうさいや態度から推おして、このお嬢さんのすべてを想像していたのです。しかしその想像はお嬢さんに取ってあまり有利なものではありませんでした。軍人の妻君さいくんだからああなのだろう、その妻君の娘だからこうだろうといった順序で、私の推測は段々延びて行きました。ところがその推測が、お嬢さんの顔を見た瞬間に、悉ことごとく打ち消されました。そうして私の頭の中へ今まで想像も及ばなかった異性の匂においが新しく入って来ました。私はそれから床の正面に活いけてある花が厭いやでなくなりました。同じ床に立て懸けてある琴も邪魔にならなくなりました。その花はまた規則正しく凋しおれる頃ころになると活け更かえられるのです。琴も度々たびたび鍵かぎの手に折れ曲がった筋違すじかいの室へやに運び去られるのです。私は自分の居間で机の上に頬杖ほおづえを突きながら、その琴の音ねを聞いていました。私にはその琴が上手なのか下手なのかよく解わからないのです。けれども余り込み入った手を弾ひかないところを見ると、上手なのじゃなかろうと考えました。まあ活花の程度ぐらいなものだろうと思いました。花なら私にも好く分るのですが、お嬢さんは決して旨うまい方ではなかったのです。それでも臆面おくめんなく色々の花が私の床を飾ってくれました。もっとも活方いけかたはいつ見ても同じ事でした。それから花瓶かへいもついぞ変った例ためしがありませんでした。しかし片方の音楽になると花よりももっと変でした。ぽつんぽつん糸を鳴らすだけで、一向いっこう肉声を聞かせないのです。唄うたわないのではありませんが、まるで内所話ないしょばなしでもするように小さな声しか出さないのです。しかも叱しかられると全く出なくなるのです。私は喜んでこの下手な活花を眺ながめては、まずそうな琴の音ねに耳を傾けました。「私の気分は国を立つ時すでに厭世的えんせいてきになっていました。他ひとは頼りにならないものだという観念が、その時骨の中まで染しみ込んでしまったように思われたのです。私は私の敵視する叔父おじだの叔母おばだの、その他たの親戚しんせきだのを、あたかも人類の代表者のごとく考え出しました。汽車へ乗ってさえ隣のものの様子を、それとなく注意し始めました。たまに向うから話し掛けられでもすると、なおの事警戒を加えたくなりました。私の心は沈鬱ちんうつでした。鉛を呑のんだように重苦しくなる事が時々ありました。それでいて私の神経は、今いったごとくに鋭く尖とがってしまったのです。私が東京へ来て下宿を出ようとしたのも、これが大きな源因げんいんになっているように思われます。金に不自由がなければこそ、一戸を構えてみる気にもなったのだといえばそれまでですが、元の通りの私ならば、たとい懐中ふところに余裕ができても、好んでそんな面倒な真似まねはしなかったでしょう。私は小石川こいしかわへ引き移ってからも、当分この緊張した気分に寛くつろぎを与える事ができませんでした。私は自分で自分が恥ずかしいほど、きょときょと周囲を見廻みまわしていました。不思議にもよく働くのは頭と眼だけで、口の方はそれと反対に、段々動かなくなって来ました。私は家うちのものの様子を猫のようによく観察しながら、黙って机の前に坐すわっていました。時々は彼らに対して気の毒だと思うほど、私は油断のない注意を彼らの上に注そそいでいたのです。おれは物を偸ぬすまない巾着切きんちゃくきりみたようなものだ、私はこう考えて、自分が厭いやになる事さえあったのです。あなたは定さだめて変に思うでしょう。その私がそこのお嬢じょうさんをどうして好すく余裕をもっているか。そのお嬢さんの下手な活花いけばなを、どうして嬉うれしがって眺ながめる余裕があるか。同じく下手なその人の琴をどうして喜んで聞く余裕があるか。そう質問された時、私はただ両方とも事実であったのだから、事実としてあなたに教えて上げるというより外ほかに仕方がないのです。解釈は頭のあるあなたに任せるとして、私はただ一言いちごん付け足しておきましょう。私は金に対して人類を疑うたぐったけれども、愛に対しては、まだ人類を疑わなかったのです。だから他ひとから見ると変なものでも、また自分で考えてみて、矛盾したものでも、私の胸のなかでは平気で両立していたのです。私は未亡人びぼうじんの事を常に奥さんといっていましたから、これから未亡人と呼ばずに奥さんといいます。奥さんは私を静かな人、大人おとなしい男と評しました。それから勉強家だとも褒ほめてくれました。けれども私の不安な眼つきや、きょときょとした様子については、何事も口へ出しませんでした。気が付かなかったのか、遠慮していたのか、どっちだかよく解わかりませんが、何しろそこにはまるで注意を払っていないらしく見えました。それのみならず、ある場合に私を鷹揚おうような方かただといって、さも尊敬したらしい口の利きき方をした事があります。その時正直な私は少し顔を赤らめて、向うの言葉を否定しました。すると奥さんは「あなたは自分で気が付かないから、そうおっしゃるんです」と真面目まじめに説明してくれました。奥さんは始め私のような書生を宅うちへ置くつもりではなかったらしいのです。どこかの役所へ勤める人か何かに坐敷ざしきを貸す料簡りょうけんで、近所のものに周旋を頼んでいたらしいのです。俸給が豊ゆたかでなくって、やむをえず素人屋しろうとやに下宿するくらいの人だからという考えが、それで前かたから奥さんの頭のどこかにはいっていたのでしょう。奥さんは自分の胸に描えがいたその想像のお客と私とを比較して、こっちの方を鷹揚だといって褒ほめるのです。なるほどそんな切り詰めた生活をする人に比べたら、私は金銭にかけて、鷹揚だったかも知れません。しかしそれは気性きしょうの問題ではありませんから、私の内生活に取ってほとんど関係のないのと一般でした。奥さんはまた女だけにそれを私の全体に推おし広げて、同じ言葉を応用しようと力つとめるのです。「奥さんのこの態度が自然私の気分に影響して来ました。しばらくするうちに、私の眼はもとほどきょろ付かなくなりました。自分の心が自分の坐すわっている所に、ちゃんと落ち付いているような気にもなれました。要するに奥さん始め家うちのものが、僻ひがんだ私の眼や疑い深い私の様子に、てんから取り合わなかったのが、私に大きな幸福を与えたのでしょう。私の神経は相手から照り返して来る反射のないために段々静まりました。奥さんは心得のある人でしたから、わざと私をそんな風ふうに取り扱ってくれたものとも思われますし、また自分で公言するごとく、実際私を鷹揚おうようだと観察していたのかも知れません。私のこせつき方は頭の中の現象で、それほど外へ出なかったようにも考えられますから、あるいは奥さんの方で胡魔化ごまかされていたのかも解わかりません。私の心が静まると共に、私は段々家族のものと接近して来ました。奥さんともお嬢さんとも笑談じょうだんをいうようになりました。茶を入れたからといって向うの室へやへ呼ばれる日もありました。また私の方で菓子を買って来て、二人をこっちへ招いたりする晩もありました。私は急に交際の区域が殖ふえたように感じました。それがために大切な勉強の時間を潰つぶされる事も何度となくありました。不思議にも、その妨害が私には一向いっこう邪魔にならなかったのです。奥さんはもとより閑人ひまじんでした。お嬢さんは学校へ行く上に、花だの琴だのを習っているんだから、定めて忙しかろうと思うと、それがまた案外なもので、いくらでも時間に余裕をもっているように見えました。それで三人は顔さえ見るといっしょに集まって、世間話をしながら遊んだのです。私を呼びに来るのは、大抵お嬢さんでした。お嬢さんは縁側を直角に曲って、私の室へやの前に立つ事もありますし、茶の間を抜けて、次の室の襖ふすまの影から姿を見せる事もありました。お嬢さんは、そこへ来てちょっと留とまります。それからきっと私の名を呼んで、「ご勉強?」と聞きます。私は大抵むずかしい書物を机の前に開けて、それを見詰めていましたから、傍はたで見たらさぞ勉強家のように見えたのでしょう。しかし実際をいうと、それほど熱心に書物を研究してはいなかったのです。頁ページの上に眼は着けていながら、お嬢さんの呼びに来るのを待っているくらいなものでした。待っていて来ないと、仕方がないから私の方で立ち上がるのです。そうして向うの室の前へ行って、こっちから「ご勉強ですか」と聞くのです。お嬢さんの部屋へやは茶の間と続いた六畳でした。奥さんはその茶の間にいる事もあるし、またお嬢さんの部屋にいる事もありました。つまりこの二つの部屋は仕切しきりがあっても、ないと同じ事で、親子二人が往いったり来たりして、どっち付かずに占領していたのです。私が外から声を掛けると、「おはいんなさい」と答えるのはきっと奥さんでした。お嬢さんはそこにいても滅多めったに返事をした事がありませんでした。時たまお嬢さん一人で、用があって私の室へはいったついでに、そこに坐すわって話し込むような場合もその内うちに出て来ました。そういう時には、私の心が妙に不安に冒おかされて来るのです。そうして若い女とただ差向さしむかいで坐っているのが不安なのだとばかりは思えませんでした。私は何だかそわそわし出すのです。自分で自分を裏切るような不自然な態度が私を苦しめるのです。しかし相手の方はかえって平気でした。これが琴を浚さらうのに声さえ碌ろくに出せなかった[#「出せなかった」は底本では「出せなかったの」]あの女かしらと疑われるくらい、恥ずかしがらないのです。あまり長くなるので、茶の間から母に呼ばれても、「はい」と返事をするだけで、容易に腰を上げない事さえありました。それでいてお嬢さんは決して子供ではなかったのです。私の眼にはよくそれが解わかっていました。よく解るように振舞って見せる痕迹こんせきさえ明らかでした。「私はお嬢さんの立ったあとで、ほっと一息ひといきするのです。それと同時に、物足りないようなまた済まないような気持になるのです。私は女らしかったのかも知れません。今の青年のあなたがたから見たらなおそう見えるでしょう。しかしその頃ころの私たちは大抵そんなものだったのです。奥さんは滅多めったに外出した事がありませんでした。たまに宅うちを留守にする時でも、お嬢さんと私を二人ぎり残して行くような事はなかったのです。それがまた偶然なのか、故意なのか、私には解らないのです。私の口からいうのは変ですが、奥さんの様子を能よく観察していると、何だか自分の娘と私とを接近させたがっているらしくも見えるのです。それでいて、或ある場合には、私に対して暗あんに警戒するところもあるようなのですから、始めてこんな場合に出会った私は、時々心持をわるくしました。私は奥さんの態度をどっちかに片付かたづけてもらいたかったのです。頭の働きからいえば、それが明らかな矛盾に違いなかったのです。しかし叔父おじに欺あざむかれた記憶のまだ新しい私は、もう一歩踏み込んだ疑いを挟さしはさまずにはいられませんでした。私は奥さんのこの態度のどっちかが本当で、どっちかが偽いつわりだろうと推定しました。そうして判断に迷いました。ただ判断に迷うばかりでなく、何でそんな妙な事をするかその意味が私には呑のみ込めなかったのです。理由わけを考え出そうとしても、考え出せない私は、罪を女という一字に塗なすり付けて我慢した事もありました。必竟ひっきょう女だからああなのだ、女というものはどうせ愚ぐなものだ。私の考えは行き詰つまればいつでもここへ落ちて来ました。それほど女を見縊みくびっていた私が、またどうしてもお嬢さんを見縊る事ができなかったのです。私の理屈はその人の前に全く用を為なさないほど動きませんでした。私はその人に対して、ほとんど信仰に近い愛をもっていたのです。私が宗教だけに用いるこの言葉を、若い女に応用するのを見て、あなたは変に思うかも知れませんが、私は今でも固く信じているのです。本当の愛は宗教心とそう違ったものでないという事を固く信じているのです。私はお嬢さんの顔を見るたびに、自分が美しくなるような心持がしました。お嬢さんの事を考えると、気高けだかい気分がすぐ自分に乗り移って来るように思いました。もし愛という不可思議なものに両端りょうはじがあって、その高い端はじには神聖な感じが働いて、低い端には性欲せいよくが動いているとすれば、私の愛はたしかにその高い極点を捕つらまえたものです。私はもとより人間として肉を離れる事のできない身体からだでした。けれどもお嬢さんを見る私の眼や、お嬢さんを考える私の心は、全く肉の臭においを帯びていませんでした。私は母に対して反感を抱いだくと共に、子に対して恋愛の度を増まして行ったのですから、三人の関係は、下宿した始めよりは段々複雑になって来ました。もっともその変化はほとんど内面的で外へは現れて来なかったのです。そのうち私はあるひょっとした機会から、今まで奥さんを誤解していたのではなかろうかという気になりました。奥さんの私に対する矛盾した態度が、どっちも偽りではないのだろうと考え直して来たのです。その上、それが互たがい違ちがいに奥さんの心を支配するのでなくって、いつでも両方が同時に奥さんの胸に存在しているのだと思うようになったのです。つまり奥さんができるだけお嬢さんを私に接近させようとしていながら、同時に私に警戒を加えているのは矛盾のようだけれども、その警戒を加える時に、片方の態度を忘れるのでも翻すのでも何でもなく、やはり依然として二人を接近させたがっていたのだと観察したのです。ただ自分が正当と認める程度以上に、二人が密着するのを忌いむのだと解釈したのです。お嬢さんに対して、肉の方面から近づく念の萌きざさなかった私は、その時入いらぬ心配だと思いました。しかし奥さんを悪く思う気はそれからなくなりました。「私は奥さんの態度を色々綜合そうごうして見て、私がここの家うちで充分信用されている事を確かめました。しかもその信用は初対面の時からあったのだという証拠さえ発見しました。他ひとを疑うたぐり始めた私の胸には、この発見が少し奇異なくらいに響いたのです。私は男に比べると女の方がそれだけ直覚に富んでいるのだろうと思いました。同時に、女が男のために、欺だまされるのもここにあるのではなかろうかと思いました。奥さんをそう観察する私が、お嬢さんに対して同じような直覚を強く働かせていたのだから、今考えるとおかしいのです。私は他ひとを信じないと心に誓いながら、絶対にお嬢さんを信じていたのですから。それでいて、私を信じている奥さんを奇異に思ったのですから。私は郷里の事について余り多くを語らなかったのです。ことに今度の事件については何もいわなかったのです。私はそれを念頭に浮べてさえすでに一種の不愉快を感じました。私はなるべく奥さんの方の話だけを聞こうと力つとめました。ところがそれでは向うが承知しません。何かに付けて、私の国元の事情を知りたがるのです。私はとうとう何もかも話してしまいました。私は二度と国へは帰らない。帰っても何にもない、あるのはただ父と母の墓ばかりだと告げた時、奥さんは大変感動したらしい様子を見せました。お嬢さんは泣きました。私は話して好いい事をしたと思いました。私は嬉うれしかったのです。私のすべてを聞いた奥さんは、はたして自分の直覚が的中したといわないばかりの顔をし出しました。それからは私を自分の親戚みよりに当る若いものか何かを取り扱うように待遇するのです。私は腹も立ちませんでした。むしろ愉快に感じたくらいです。ところがそのうちに私の猜疑心さいぎしんがまた起って来ました。ごく些細ささいな事なのです。しかしその些細な事を重ねて行くうちに、疑惑は段々と根を張って来ます。私はどういう拍子かふと奥さんが、叔父おじと同じような意味で、お嬢さんを私に接近させようと力つとめるのではないかと考え出したのです。すると今まで親切に見えた人が、急に狡猾こうかつな策略家として私の眼に映じて来たのです。私は苦々にがにがしい唇を噛かみました。奥さんは最初から、無人ぶにんで淋さむしいから、客を置いて世話をするのだと公言していました。私もそれを嘘うそとは思いませんでした。懇意になって色々打ち明け話を聞いた後あとでも、そこに間違まちがいはなかったように思われます。しかし一般の経済状態は大して豊ゆたかだというほどではありませんでした。利害問題から考えてみて、私と特殊の関係をつけるのは、先方に取って決して損ではなかったのです。私はまた警戒を加えました。けれども娘に対して前いったくらいの強い愛をもっている私が、その母に対していくら警戒を加えたって何になるでしょう。私は一人で自分を嘲笑ちょうしょうしました。馬鹿だなといって、自分を罵ののしった事もあります。しかしそれだけの矛盾ならいくら馬鹿でも私は大した苦痛も感ぜずに済んだのです。私の煩悶はんもんは、奥さんと同じようにお嬢さんも策略家ではなかろうかという疑問に会って始めて起るのです。二人が私の背後で打ち合せをした上、万事をやっているのだろうと思うと、私は急に苦しくって堪たまらなくなるのです。不愉快なのではありません。絶体絶命のような行き詰まった心持になるのです。それでいて私は、一方にお嬢さんを固く信じて疑わなかったのです。だから私は信念と迷いの途中に立って、少しも動く事ができなくなってしまいました。私にはどっちも想像であり、またどっちも真実であったのです。「私は相変らず学校へ出席していました。しかし教壇に立つ人の講義が、遠くの方で聞こえるような心持がしました。勉強もその通りでした。眼の中へはいる活字は心の底まで浸しみ渡らないうちに烟けむのごとく消えて行くのです。私はその上無口になりました。それを二、三の友達が誤解して、冥想めいそうに耽ふけってでもいるかのように、他たの友達に伝えました。私はこの誤解を解こうとはしませんでした。都合の好いい仮面を人が貸してくれたのを、かえって仕合しあわせとして喜びました。それでも時々は気が済まなかったのでしょう、発作的に焦燥はしゃぎ廻まわって彼らを驚かした事もあります。私の宿は人出入ひとでいりの少ない家うちでした。親類も多くはないようでした。お嬢さんの学校友達がときたま遊びに来る事はありましたが、極きわめて小さな声で、いるのだかいないのだか分らないような話をして帰ってしまうのが常でした。それが私に対する遠慮からだとは、いかな私にも気が付きませんでした。私の所へ訪ねて来るものは、大した乱暴者でもありませんでしたけれども、宅うちの人に気兼きがねをするほどな男は一人もなかったのですから。そんなところになると、下宿人の私は主人あるじのようなもので、肝心かんじんのお嬢さんがかえって食客いそうろうの位地いちにいたと同じ事です。しかしこれはただ思い出したついでに書いただけで、実はどうでも構わない点です。ただそこにどうでもよくない事が一つあったのです。茶の間か、さもなければお嬢さんの室へやで、突然男の声が聞こえるのです。その声がまた私の客と違って、すこぶる低いのです。だから何を話しているのかまるで分らないのです。そうして分らなければ分らないほど、私の神経に一種の昂奮こうふんを与えるのです。私は坐すわっていて変にいらいらし出します。私はあれは親類なのだろうか、それともただの知り合いなのだろうかとまず考えて見るのです。それから若い男だろうか年輩の人だろうかと思案してみるのです。坐っていてそんな事の知れようはずがありません。そうかといって、起たって行って障子しょうじを開けて見る訳にはなおいきません。私の神経は震えるというよりも、大きな波動を打って私を苦しめます。私は客の帰った後で、きっと忘れずにその人の名を聞きました。お嬢さんや奥さんの返事は、また極めて簡単でした。私は物足りない顔を二人に見せながら、物足りるまで追窮ついきゅうする勇気をもっていなかったのです。権利は無論もっていなかったのでしょう。私は自分の品格を重んじなければならないという教育から来た自尊心と、現にその自尊心を裏切うらぎりしている物欲しそうな顔付かおつきとを同時に彼らの前に示すのです。彼らは笑いました。それが嘲笑ちょうしょうの意味でなくって、好意から来たものか、また好意らしく見せるつもりなのか、私は即坐に解釈の余地を見出みいだし得ないほど落付おちつきを失ってしまうのです。そうして事が済んだ後で、いつまでも、馬鹿にされたのだ、馬鹿にされたんじゃなかろうかと、何遍なんべんも心のうちで繰り返すのです。私は自由な身体からだでした。たとい学校を中途で已やめようが、またどこへ行ってどう暮らそうが、あるいはどこの何者と結婚しようが、誰だれとも相談する必要のない位地に立っていました。私は思い切って奥さんにお嬢さんを貰もらい受ける話をして見ようかという決心をした事がそれまでに何度となくありました。けれどもそのたびごとに私は躊躇ちゅうちょして、口へはとうとう出さずにしまったのです。断られるのが恐ろしいからではありません。もし断られたら、私の運命がどう変化するか分りませんけれども、その代り今までとは方角の違った場所に立って、新しい世の中を見渡す便宜も生じて来るのですから、そのくらいの勇気は出せば出せたのです。しかし私は誘おびき寄せられるのが厭いやでした。他ひとの手に乗るのは何よりも業腹ごうはらでした。叔父おじに欺だまされた私は、これから先どんな事があっても、人には詐欺られまいと馬鹿なりに決心したのです。しかし駄目でしょう。あなたの頭の馬鹿細胞をすべて入れ替えても無理な話です。馬鹿は死んでも直らにゃ~い。と言う事、、! 馬鹿はまた馬鹿で生まれ出る運命なのです。輪廻転生と言うやつですね。 「 信じるか、信じないかは・・・ あ・な・た 次・第・です!! 」ははwww
  • 2017/01/20 16:09:48返信

    ペニバンの刑やな
  • 2017/01/20 16:34:38返信

    いやア〇ルパールの刑だ
  • 2017/01/21 08:52:08返信

    なんだこの意味なし長文投稿は?ww
    
    明らかに動揺してるやんww
  • 2017/01/21 08:53:04返信

    これは頭おかしいと思いますわ…
  • 2017/01/21 13:55:36返信

    バカはバカで生まれ変わる運命、、、ワロタ
    
    騙されて捨てられた知恵遅れの女のようなバカがピーチクパーチク愚痴るだけのスレみたいだな。
    
    アホ臭さ(笑)
    
    ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 
    ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 
    ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 
    ■■■■■■■■■■■■■■□□□□■■■■■■■■■■■■■■■ 
    ■■■■■■■■■■■■■■□□□□■■■■■■■■■■■■■■■ 
    ■■■■■■■■■■■■■■□□□□■■■■■■■■■■■■■■■ 
    ■■■■■■■■■■■■■■□□□□■■■■■■■■■■■■■■■ 
    ■■■■■■□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□■■■■■ 
    ■■■■■■□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□■■■■■ 
    ■■■■■□□□■■■■■■■■■■■■■■■■□□□■■■■■■ 
    ■■■■■□□□■■□□□□□□□□□□□□■■□□■■■■■■■ 
    ■■■■□□□■■■□□□□□□□□□□□□■■□■■■■■■■■ 
    ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 
    ■■■■■■■■□□□□□□□□□□□□□□□□■■■■■■■■■ 
    ■■■■■■■■□□□□□□□□□□□□□□□□■■■■■■■■■ 
    ■■■■■■■■■■■■□□□■■□□□■■■■■■■■■■■■■ 
    ■■■■■■■■■■■□□□■■■□□□■■■■■■■■■■■■■ 
    ■■■■■■■■■■■□□□■■■□□□■■■■■■■■■■■■■ 
    ■■■■■■■■■■□□□■■■■□□□■■■■□■■■■■■■■ 
    ■■■■■■■■■□□□■■■■■■□□□■■■□□■■■■■■■ 
    ■■■■■■■□□□□■■■■■■■□□□□□□□□□■■■■■■ 
    ■■■■□□□□□■■■■■■■■■■□□□□□□□□□■■■■■ 
    ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 
    ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 
    ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
  • 2017/01/22 09:03:54返信

    明らかに動揺が隠せない、
    
    
    
    
    
    紅の白豚こと、
    
    
    
    
    
    ニヤけ顔のランボルギーニくんこと、
    
    
    
    
    
    JMG総研の高橋保智は、
    
    
    
    
    
    加賀祐介のフロントとして、
    
    
    
    
    
    大規模詐欺に率先して関わり、
    
    
    
    
    
    その得た1億5000万円もの手数料で、
    
    
    
    
    
    似合いもしないランボルギーニを乗り回していた、
    
    
    
    
    
    れっきとした詐欺師です。

KSG RESOURCE株式会社の口コミを投稿